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雑話2024.2

漫画を書きました(未公開)。しかし恐ろしいことに、納得のいく絵が全くと言っていいほど書けません。漫画は一枚のイラストとは違うので当たり前ではあるのだが、描きたくないものも描かなければならないし、苦手な構図にも触れる必要があります。思いつきでキャラクターデザインを変更してはいけないし、面倒なデザインも毎コマ描かなければいけません。

しかし、手探りで自分に向いた画法を掘り起こす作業は悪くないです。新しい何かしらから得られるものは多くあります。ここで言う新しさとは、それが生まれた時代と無関係のものです。1980年に作られた映画でも、そこに意義を見出したのなら、それは自分にとって新しいものです。

これは僕の意見ですが、“自分にとっての新しさ”は、生活において肝要です。最新の時代に作られたものを追って取り入れることは悪いことではないですが、自分にとって有用なものを堆く積まれた過去の情報の山から、いかにサルベージするかが僕にとって大事なことです。

先の話...未来についても思うことはあります。
人が草陰の暗闇の中に幽霊や獣を見出して怯えるように、未来という観測のできない暗闇に恐ろしいなにかを想像してしまいます。未来との付き合いは難しく、主としてインターネットで不安を訴える人々の根源はやはり未来であり、暗闇だと思います。

以前何度か訪問してきたある団体は、彼らの教義が暗闇の未来へ続く道のりを照らす灯りになる、という触れ込みで僕を勧誘してきました。ひどく具体性を欠いている、と思いましたが、しかし“暗闇への不安”を抱えた人々が溢れかえっている現代社会においては、有効な文句だと感じられました。

彼らが悪である、というわけではありません。ただ、弱点を利用する商売の中には信用できるものも多くあるなかで、さして対価を求めないものには慎重になるべきだと思います。もちろん利他的な思想によって、見返りを求めず他人をサポートすることは素晴らしいと思います。そういう人が少しずつ増えたら良いですね。

未来との正しい付き合い方は分からないので、ぶつかった問題を過去のいくつかのサンプルに照らし合わせ、生まれた推論を正しいみなすことしかできません。それは経験則と言われていますね。経験則.......

人生は経験則ゲー。
つかれた、さらばだ

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