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セプテンバー

ーもしも涙がながれてきたら、いきなり私の上にうつ俯して、それで私を殺してしまつてもいい。すれば私は心地よく、うねうねの冥土の径を昇りゆく。『盲目の秋/中原中也』

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夏が終わり少し寂しくなる。置いて行かれた暑さを感じながら、記憶に思いを馳せる。冬に向けて時が緩やかになる束の間の月。それが9月。RADWIMPSのセプテンバーさんで「もう少しだけここにいさせて」なんて歌ってるように、夏の記憶を何度も振り返り愛おしくなって、寂しくなる。

私にとってはずっとずっと温かくて柔らかい9月だった。

我ながら前回書いたこの文章が非常に好きだ。結構何度も振り返って読んでるけど、くすぐったくなるような恥ずかしさも感じないし文章も結構まとまってる。よく、またこんな文章が書けたら、と思いながら街を歩いてる。

前回の文章で駆け抜けたいとか言って、ちゃんと9月は全力疾走だった。たまたま仕事が忙しい時期という事もあり、有難いほど学ばせてもらった。残業を終えて帰宅した後には新人賞に応募する為の短編小説を書いた。いずれも9月末が締め切りだったので切羽詰まっていて、終わりかけ1週間は鬱っぽくなっていた。

無事に仕事の納期も新人賞の応募も間に合い安心したのが9月が終わる1日前。9月の上旬か半ばくらい、友人に話した事を振り返った。

ー全部うまくいって幸せだと感じるようになったら私はしぬんじゃないか。

最近よく思うようになった。

元々、生きたくない、という願望が強い。ずっと何かがうまくいったら何かがうまくいかなくなる、なんてことがよくあってそういう星の元に生まれているのだ、と悲しみに対して割と鈍感になっている。つらいけどどうせいつか死ねる。自分が死んだら悲しむ人がいる、何てことは正直知ってる。頭ではわかってる。でも彼らは悲しむだけで救ってくれない事が大多数な事も、知ってる。悲しむ姿を想像したら死ねないな、みたいな事は思った。だけど別に生きたくもなかった。

幸せの定義とか正直わからないしどうでもいい。ただ、やりたい事をして満たされていて、面倒な人間関係もなく程よく友達も居てたまにランチとか飲みに行って、好きな人と穏やかな暮らしが出来たらまぁ、相当に精神安定するだろう。

どこかで願いながら諦めて早く消えてしまいたかった。


9月末に初めて、死にたくない。と思った。

理由は明確だけど少し話の趣旨がズレるので控えておく。ただ、誰かが悲しむから、とかじゃなくて、自分の為に、自分の望みの為に、死にたくない。なんて思えた。

とりあえず煙草を減らそうとか思って友人と飲みに行く時やクラブイベントの時だけに喫煙する事にした。それからランニングをし出した。ちゃんと色んな事に向き合おう、とExcelにまとめた。頭の中だけで描いていた人生設計を書き出して見つめ直してみたり、した。

小学生の頃から嫌だなぁ生きたくないなぁ、とこの感情と付き合ってきたのでふとした拍子に戻ってるかもしれない。でも、何に対してかわからないけど邪魔しないでって気持ちで走り回ったら少しすっきりした。

生きよう。

雑記でした。読みづらくてすみません...

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