父へ。
唐突に思い出す。幼い頃のぼんやりとした記憶。
夜中にトイレがしたくなって父を起こし1階に降りてトイレをすませ父を待ってる間、部屋の隅に置いてあった立方体型の小さなテレビを両手で抱えて持ち上げようとしたこと。保育園児だった私にはとても重くて、身動きとれなくなって半泣きで叫んでたら父親が飛んできた。
爆笑しながら「何してんの!?」と。私も子供ながらに、何してるんだろ…と思った気がする。
こういった記憶は他にもあるけど、だいたい私は夜に父親に抱きかかえられてる。私の世代の父親としては若かったらしく、「お父さんかっこいいね」と言われることも多かったらしい(母談)。かっこよかった父の顔にもシワが増えて昔より食べる量が減ってお酒にも弱くなった。親も年老いていくなあ。
昔を思い出してどうしようもなく泣きたくなってしまうのは、幼い頃父に抱きかかえられた時の感覚を覚えているからで、そしてそれがもう二度と無いことだとわかっているからかもしれない。普段はどうってことないけどふと思い出した時、父も母も私より早く居なくなってしまうことをいやでも痛感する。
いつか誰かに、私は家族との縁が薄い星に生まれてると言われたことがあって、それはたしかにそうなのかもしれないと思うのだけど、薄いわりには愛情が深すぎる家に生まれてしまっていて、そして(それ故か)、私自身困ったことにとても愛情深い人間になってしまった。それは私自身の首を絞めている。
離婚した母に割と早い時期から早く恋人を作れと言い続けていたけれど、父に対しては違っていて、父に恋人がいると知らされた時は一種怒りの感情さえ湧いてきた。今ではなにも思わないし、どちらもいい人を作って残りの人生を人から愛されて生きて欲しいと思う。
待っていたのかもしれない。離婚した両親が再婚することはまず無いとわかっていたし期待していたわけでもないけど、それでもいつか迎えに来てくれると思っていたのかもしれない。それに気づいた時には私は随分大人になっていて上手く気持ちを隠せるようになってしまっていた。
親も一人の人間だと思えるようになった。
それは随分寂しいことだ。
親が絶対ではなくなって、自分の意思を持つようになって、手を離された気持ちになる。
私が「人生は巻き戻せない」ということを痛感するのは親との思い出を振り返るときで、振り返ると戻りたくなってしまうのは、幸せな人生を歩んで来ているという証拠なんだろうか。私は自分が死ぬ時にまた振り返って、泣いてしまうと思う。
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