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新聞を読んでいる

価値、を考えていた時期

人権があるから
口減しが出来なくなった
人権があるから
この、価値のないと分類されるような人も生きていられる

無駄を減らそうなら、
間違いなく
減らされる類

良いのか悪いのか

もう15年経ってた
人に言わないだけでもう25年になる

なんだか色々絡んで
難しくなって
このまま歳を取るんだろうか

人に話すと溝を感じる
言葉の意味が違ってしまうように

たまにちゃんと話が出来る人がいる
ごく稀で
私にはとても大事なことで、大事な人なのに
目的が違うからどこかでサヨナラしないとならなくなる

眠ったら起きないと良いな、と、寝る前に思うようになって。

何かしたいな、とか、どこか行きたいな、とかも、それでどうなるの?と自問自答になって。

こうやって、無駄になる

 価値 (3/3)
前の、2つの章は、いつ書いたのか、おぼえがない。

2016年7月26日の障害者施設の報道は自粛…というか、あまり報道はしないで、という実名明かしがなかったけど、新聞にはちまちま記事があった。いつもマスメディアに思う事は、死んでから、過去を探るのは何故なのか、だった。
生きているうちは、目立たないと、価値がないからじゃない?

自分は、生産性がないなら価値はないよ、と言われた側だし、障害?なにそれ言い訳?と、言われた側だし、正直、「差別しないで」なんて言えない。

所属がないことに不安がないわけではないが、所属してしまえば、支配下に置かれるという強迫観念が知らず識らず不調に繋がる。

あの日以来自分は、組み立てができないでいる。
なにが大事かまたわからなくなった。
それはなにより、自分自身が、生産性がないことを恥じている。
生きていることを、ごめんなさい、と思っている。

いろんな人がいろんな意見を、新聞には寄稿した。

そんななか、同じように発達障害を持つ娘さんをもつ、50代くらいの方が、不安を投稿していた。

見えない障害、一見普通に見える、理解がないから仕事の邪魔と思われる。自立した生活が出来るようにならねば、この先どうなる?だから最終目標が自立として、子供の頃からやって来た、だが、いざ、その歳には、社会はまだ理解してない、理解というか、時間の無駄を理由にしている。一億総生産という思想が怖い。

そんな内容で思わず新聞を切り抜いた。

それから、その投稿に対しての反響が記事になった。
明るい話題はひとつもなかった。
選んだ人の思惑かもしれない。
成功例があることも。知っているからだ。
ただ、少ない。

殺していいなんて思わない。
でも。勝手に死んでくれるなら、それはそれでしょ、と思われてる気がしている。

役に立たなきゃ、必要とされないの。
言われた言葉が消えない。



就労支援センターなどに行って、ASDでも働けるように「自分の向き不向き」みたいな事を書き出した。取扱説明書、だ。
職場の人に?安心?してもらう為。

で、なんとか1年か、2年かけて、次にハローワークの障害者雇用の窓口に登録に行った。登録してからまた、大変で、色々紹介状を取るとか活動しないと、登録を消されてしまう。
でも、見せてもらった求人票なんかで、
「資格不要、見ててくれるだけでいい」
というような介護施設の募集がたくさんあって…自分は介護ヘルパーの資格をとり2年くらいそのサービス施設で働いたから、この求人がいかに限界なのかわかる。

「精神障害=扱い難い(そんな手間はかけられない)」という認識をそのまま断り文言にされたりして、…活動をしなくなった。

 そんなに焦る必要なかった、焦って活動したって、余裕が全く見えない人を雇えるわけないと、後々至るけれど、その時本当に、先を考えたら焦るしかなくて。

もう必死過ぎて、年代はあやふやだ。記録はあるんだが、掘り出しても仕方がない。
そして…
この就労支援センターも今はもう無い。

働くってなんだろうな、と今も思う。
賃金が出ないなら、家事は働くにならない、とされてきた。過去の仕組み。
けれど家事を、掃除洗濯して、生活用品の取り揃えをするのは、人が生きる上では必須なんでしょう?
1人で暮らしながら、全部完璧にこなせないから、どこかで他人の力を借りるのが、コンビニやネット配達。
複数人で、暮らしていて自分が掃除洗濯、生活用品取り揃えをしているなら、働いてるじゃん、と思う。
ただ、働いていてながら、1人でそれが出来る人と比べたら、ペシャンコになる。
だから比べな〜い。
1人で全部やる、は、やったし。
やれた末、いまなんだから。

診断書の時期の度に、何も知らない人から狡いとか言われたのを思い出して、悩むんだけど「だからわたしは診断書を書きます」となかば憤慨しながら言う先生が頼りだ。いつかは、先生もクリニックを辞めたり医師を辞める日が来る、ただその時は、私もナヨナヨしないで生きれているように、いま、認識を変える練習をしている、古い仕組みに、古い考えに、左右されないように。

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