ガンギマれない日々①〜エンドロール的疾走感〜
それぞれの疾走感、オレの疾走感。などとヌかしてみる。ポカリのCMの疾走感、紋切り型セーシュン描写から受けるそんなもんではない。未来への期待、未知なる時間が多ければ多いほど膨張している無軌道な高揚状態をあらわす喩でもない。
清々しい敗走。エヘラエヘラとバスケ部の後を汗ダクで追っかけるドンクサ男子のフテ腐れでもない。フテ腐れを極めたが故のヤケ起こし的反動なんかとっくにしょうもない。だからアホのテロリストなんかは心性が中坊のまま。クラスの端で机に突っ伏しイヤホン耳に突っ込んでる系の「オレはオレだ」じみた新緑の反抗をやるような歳では無い。もっとこう、サッパリとした、敗走の麗しさ。
エンドロール的疾走。雑文にチューショー的な観念語を使うのは極力避けたいものだが、共同体の強者が後付け的に練り上げた物語を物語としてすら享受したくない。意識的に、そうありつづけたい。そもそも“強者/弱者”なるザツな定義を盲信するわけもなく、目の前の物語(クラスの絆的なソレ、会社組織の成長譚的なソレ、また地域社会の道徳的な、ソレ)を常にチャカし続けられる“強さ”の方が重要だとおもう。(いや。重要。などと他者に対し何かを強いてしまう愚鈍さに意識的であることもまた、重要。笑)
しかし常に目の前のことにチャカシを入れまくるような仕草は無粋でいかん。いかんのよ、中学生っぽくて。皮肉一辺倒に陥って暇さえあればツイッターで政治の悪口をグチグチ垂れ流すオッサンには絶対なりたくないよ。笑 いい歳こいて相対化、とか言って現実社会で頑張る人々に学問的なポーズを決め込むのもいいけど程々にしとけよって感じ?男はつらいよ。信州が生んだ豪傑でありたい。キャンドル・ジュン氏のように…。
なんだろな。むしろ目の前の物語、例えばポカリスエット的青春絵図に、取り敢えず一旦全力で没入すべきじゃないか??いやそれじゃあ完璧に矛盾するじゃ無いか。俺が思うのはそういうことなんだ。次から次へと無意識的にあふれだす言語化不能な違和感を賛美しつづけたい。美しく直立する青春の美、仲間の絆的な型通りの美意識に、何らかのズレが生じる瞬間、いやズレが生じようとしているような、えもいわれぬ不気味さ。最終的に死へ繋がっていると直感的に“わかってしまう”ような、物語の最初から終局がジワリと浸透しちゃってるようなそんな、愉しい恐怖。
思い描いた夏なんざ、結局“予感”の連続で終わるじゃん?結局毎年。そういうこと。予感の海を、死ぬまで回遊していたい。笑
とはいえゲージュツとゲンジツの違いってのはそれなりにあって、ゲンジツ領域(会社等々)で勝手に作り上げられてるような合目的的というかあからさまな利潤追求的な物語には、わかってても拒否感がスゴいのよ。あからさまだから。あからさまなこと、巧妙にカモフラージュされていること、宣伝広告を眺めるってこと。。。
芸術って結局なんなんかってこと、もっと勉強しないとね〜。
ラストカットからエンドロールへの一瞬の繋ぎが死ぬほど上手い映画なんかは、もうそれだけで赦せてしまう。あまりにスガスガしい断絶の力。2時間も続いたナゾの時間が一気に祭壇上に祀りあげられるような感覚。ナゾ時間からゲンジツへの、急降下的な揺り戻し。境界への讃歌。そんなエンドロールの力。
敗走なんかじゃねえ。散華ダッシュ。空の青み。2023/06/21
気付けば夏至
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