堕落態か、“発症”か


ノスタルジックな自身の記憶を拝借しつつ、その気分に浸り切ってしまうのは、単なる現実逃避の成れの果て、つまりは堕落の一形態なのだろうか。



2000年代の初夏、えらく長く感じた小学校の季節休暇、公民館駐車場で放ったロケット花火、あゝ花火、思春期に至る迄の数年間、地元の秋祭り、ワンピースの袋入りわたあめ、夏休みのプール授業、地区で集うラジオ体操の憂鬱、中学上がってグレた友達の姉ちゃん、友達の兄ちゃんがウォークマンで聞いてたポルノグラフィティ、ごくせん、エンタの神様、YouTube黎明期、友達のお母さんが乗ってた今思えばイカついセダン車、親父の車で流れてたAMラジオ、KAT-TUNの一世風靡、テレビ中心の世界、覚えたてのパソコンで知ったチャットサイト、Yahooメールアドレス、買ってもらったスライド式のガラケー。ああ、しょうもねぇ2000年代を俺も皆さんも生きてきたんだ。そんな記憶をある程度共有できてしまうんだ同世代とは。エモ。

どうでもいいが今日はベロベロ気味ですわ。笑
「三角の目をした羽ある天使が恋の知らせを聞いて右腕に止まって目配せをして「疲れてるんならやめれば?」」という誰もが知るaikoのリリックがスマホからダダ漏れ続けている。いつの間にやらスマホ時代へと変貌している。レンタカーのステレオから爆音でaikoを流しあらゆる地方をドライブしてみたい。なんとなく道の駅とか寄って、欲しいものベツにないね、とか言い合いたい。ああ、夏への夢想。夏が来るというモチベーションだけでもって無為に膨張する浮ついた幻影だけは未だ思春期の頃のまま、一向に失せる気配がない。笑

どうしようもない季節移行の幻惑。特に大したことが起きるはずもないのに。ああ、何の根拠もないのに、夏が来るという確信だけを頼りにただ闇雲に噴き出しつづける激烈なパッションを糧に、この単調な日々は続く。あゝ生活。生活があるだけ。誰かを羨むこともなく。


2023/05/03
少し遠いけどデカめのスーパーで買い物するのは楽しい

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