今夜も威勢よくツイストアンドシャウト

クイーンは“ロック”かもしれないが“ロックンロール”ではないよね、などと今夜もヒマジンお気持ち表明。

オレはロックン・ロールの「ロール」な部分が好きなんだよね。ロールってのは抜け感、クールなスカし感の喩えとでも言おうか。昔からロールな男に憧れがある。俺が思うに、ロールってのは管楽器のスウィングの潤滑油、つまりはローションだ。乾き切った青少年の(いや歳はカンケーないと言いたい)感受性を無理やりこじ開け、新たな生命を息吹かせる過剰を注ぎ込むための、精神的エチケット・ローション。ロールな男ってどんな男だろう、ベツに“漢”である必要もない。生物学的オスである必要もない。なにやら喧しく居ても立っても居られない、置かれた現状の外側を、あるかないかもわからない具体的/宗教的ユートピアなどではなく、とにかくココではない何処かを常時志向し、なんだかんだ即物的な欲望にも忠実で情事もしっかりこなすようなヤツ。いやこなそうがしてなかろうがどうでもいい、とにかくクールなホモ・サピとしての在り様。滑らかで軽快だが、どこか無骨さが根っこにあるようなトロンボーン奏者のスウィングの動きの如くあらゆる土地を、思想を、共同体を烈しく往復しちまうような躍動感を滲ませつつ、絶えず反省的でニヒルで、いやニヒルと言えども全般的虚無に陥ることなどない、あくまで明るいままで、人に優しく、ただあっけらかんと無様に、いや無様だかどこか妖気を秘した、死ぬまで陽光の下で禿頭をテカらせ続ける路上の肉塊。

主義主張や立居振る舞いってのは歳とるごとに凝固していくもんで。挙句、筋肉や関節といった己の物理的側面も制御され、動かなくなり、皆惨めに総合病院のパラマウント・ベッドの上で事切れ、白い骨壷と化し、デカいツラ下げた坊主に般若心経唱えられておしまい。ソレが資本主義/新自由主義がとっくの昔からマンエンし腐るほど人々の内面にまで浸透し切った世の死に方だと言われてしまえばそれまでだ。でもまあ、オレにも、オレの近しい人々にも、一生烈しく動き続ける肉塊であって欲しい。単なる肉塊、我肉と他肉の無際限な交流の連続。何故精神的交流でなくて“我肉/他肉”なぞいう造語にしたかって?肉体がすべてだからだ。筋トレをしろと言いたいわけじゃない。あんなもんはクソだ。いやクソじゃない、気持ちいいならやればいい。精神の上昇、精神的成長、などと言う文句はゴミ資本再生産の、またトンチンカンな宗教の道徳的キャッチコピーとして使い古されてることなんぞ皆分かってる筈だ。皆わかってるくせに、それでも“自己セーチョー”したがってる。懲りもせず。そうせざるを得ない理由があるから仕方ないんだけど。「そうせざるを得ない」社会の病理を析出しなくてはならない。だからとりあえずオレは抵抗手段の一つとして〈肉〉を選んだ。とにかく〈肉〉について、考えていきたい。笑

ナニに抵抗し何処を目指すのかも分からない。しかしその不分明な間接照明の下で踊り続けるだけでいいんだと思ってる人生なんてものは。いつだってロックン・ロールは、その妖しげな光の灯る方向をションベン臭い中指人差し指で示してくれる。そんな方向、嘘っぱちかもしれねーけどさ(笑)



2023/07/13
さすが、東北は涼しくていい。信州には負けるけど。

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