梅雨、空元気
聖餐(セイサン)という熟語がカッコいいと思ってる。聖なる食事、聖体拝受、のようなキリスト教的意味合いを持つ言葉だが、精算、凄惨、という同音語ともあいまって、なんとも背筋が凍るような、血液が冷却されるようなシュンとした心地にさせられる。セイサン。カワイタボーリョクを想像させる。振りささぐ血の雨、それが婉曲的に雨となって降り注ぐ恩寵としての、アースウィンドアンドファイア的土着類感。んで、なおかつ“晩餐”の“餐”の字。食事。死と血と、メシをかっくらうことが重なるエロス。〇〇なエロス、キリッ。みたいな雑なオナニー感嘆はもう飽きたし恥ずかしいので、表現の幅を拡げたいと思う。
有吉弘行のラジオを聴いて、空元気を戴く。
東京の芸人のタイプを思いつきで3タイプに分別してみる。有吉、太田光、ふかわりょう。(有吉は広島出身だし上岡龍太郎に影響受けてるしオール巨人の弟子だった為に東日本流とは言い難いのだが、アレは東京で作り込んだニューウェーブ話芸だと思ってる)
ここ二年程度、有吉のラジオにハマってる。あの人物は歳をとるごとに色気がスゲー増していってるような気がする。我々世代が知ることになる「毒舌、アダ名芸」は当時大してハマらなかったし、スゲーオモロいとも思ってなかった。だけども、最近になって有吉弘行という人物が現日本のテレビの頂点に君臨していることに驚きを覚えるとともに、ただ単純に、あの人のラジオが面白すぎるんだよ。有吉は反動先制を極めた人物だと思ってる。目の前のことがくだらない、しゃらくせーと思ったら、色々思い反芻する間もなく、反射的にほとばしる屁理屈精神を、あくまで話芸という伝統的手法に則った形で爆発させる。反動的笑いは単純だ。しかしその瞬発力でもって、その場を一挙に席捲してしまうスゴさというか、日本民族のヤラシイ感性を無意識的なところで全部かっさらってしまうというか、そんなスゴさがある。だからいつのまにやら、テレビという大衆性の“頂点”を強奪してしまっているとでも言ってしまおうか。インテリジェンスな小言に刃向かう大衆的ユーモアというのはいつの時代も生み出されるものだが、有吉の“笑い飛ばし”はとにかく凄すぎるんだって、最近になってやっと気付けたような。アレは大衆性を掻っ攫う、大衆の代表を気取った、超インテリ暴力野郎なのかもなって。
もう書けない、おやすみなさい。
ふかわりょう、太田光に思うことも、そのうち書きたい。
明日も面接がありますorz
2023/06/05
梅雨入り
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