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オーディオリンガルの歴史的位置づけ

冒険家の皆さん、今日も降りしきる雪の中でヒノカミ神楽円舞を舞っていますか?

さて、今日は「日本語教育史においてオーディオリンガルは過去のものと認識されている」ということについて書きます。これは日本語教育の歴史の中ではかなり基本的なことですが、きちんと勉強する機会のなかった人が僕の予想よりかなり多いようです。

ご覧の通り、「みんなの日本語」がオーディオリンガルであることは7割程度の方が正しく認識できている一方で、「日本語教育史においてオーディオリンガルは過去のものと認識されている」ということを正しいと認識している人は半数にも届いていません。

きちんと勉強する機会がなかった人たちに僕が「オーディオリンガルは過去のものです」と書いても僕の個人的な認識だと誤解されかねませんので、ここではGoogleスカラーで検索して、ネットに公開されている論文を目についた順に10例だけ引用することにします。

基本的に今日の記事はそれだけです。オーディオリンガルが過去のものだと認識されていることを知っている人にとっては、ここから先はあまり意味がないかもしれません。

では、以下に引用を羅列しますね。

「ヨーロッパ系のダイレクト・メソッドとアメリカ系のオーディオリンガル・メソッドが衰退し、コミュニカティブ・アプローチの言語教育革新運動を経て、第二言語教育の方法はリベラルになった」
『第二言語教育におけるバフチン的視点 : 第二言語教育学の基盤として』
西口 光一
https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/50579/27059_%E8%A6%81%E6%97%A8.pdf

「このような批判や、認知心理学の台頭で、オーディオリンガル法の理論的基盤が揺るがされ、次第に衰退していく。
 その後、70年代終わりから80年代前半は、「コミュニカティブ・アプローチ」が台頭する時期となる。 コミュニカティブ・アプローチは、オーディオリンガル法への批判を受け、「コミュニケーション能力」を養成することを目的とした教授法の総称で・・・」
『外国語学習におけるプロジェクト授業 その理論と実践』
玉木佳代子(2009)
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/lcs/kiyou/pdf_21-2/RitsIILCS_21.2pp231-246TAMAKI.pdf

「1950 年代はオーディオリンガル法の枠組みを用い、内容よりも語彙や文法の正確さを重視する制限作文アプローチが主流であった。しかし、1960 年代後半頃には、語彙や文法の正確さよりも様々な文章(叙述文・描写文・解説文・論述文など)におけるその論理構造や機能(説明・例示・比較対照・分割・定義・因果関係など)など文章構造を重視する新旧レトリックアプローチがこれに取って代わった。」
『ピア・ラーニングに対する学習者の認識と学びのプロセス』
望月通子(2013)
https://www.kansai-u.ac.jp/fl/publication/pdf_department/08/087mochizuki.pdf
村上註:これは作文教育の文脈なので、他のものとは少し違って見えるかもしれません。

「オーディオリンガル法のアンチテーゼとして、1980 年代後半から、実際使用に近づけた教育を目指したコミュニカティブ・アプローチという外国語教授法が欧米で提唱され、日本語教育にも取り入れられた」
『他の発見から自己の創造を促すコミュニケーション型初級クラスの構想』
高木美嘉(2007)
https://waseda.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=26057&file_id=162&file_no=1

「言語教育はオーディオ・リンガルの時代を経て、コミュニカティブ・アプローチが主流となってきている。」
『表現教育としての日本語教育─ 言語を使いこなす知恵を育てる─』
山本忠行(2014)
https://soka.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=38138&item_no=1&attribute_id=15&file_no=1

「文法訳読法は,文章表現を重視し,オーディオリンガル法は,口頭表現を重視しているという違いがあるが,どちらも文法的・音声的な正確性を重要視してきた。それに対し,いくら正確な構造を学んでも,実際のコミュニケーション場面と結びつかないという批判が起こった。その批判から1970年代初頭に登場したのが,機能・場面を考慮し,学習者が遭遇する場面に対応できるコミュニケーション能力の育成を目的とする,コミュニカティブ・アプローチである。」
『学習者はどのように評価基準を構築したか』
市嶋典子(2013)
https://air.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=2056&item_no=1&attribute_id=48&file_no=1

「伝統的教授法として分類され、後に批判されるものの代表が文法訳読式教授法とオーディオリンガル・メソッドである。」
『外国語としての英語学習における文法指導の役割について』
高橋順子(2010)
https://tama.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=212&file_id=22&file_no=1

「ポスト・オーディオリンガルのパラダイムの中では、日本語教育の社会的役割が強く問われるだろう。」
『新しい日本語教育のために』
ネウストプニー J.V.(1991)
https://ci.nii.ac.jp/naid/110000543721/

「1980 年代には,オーディオリンガル法に台頭して,コミュニケーション活動を重視した指導法(Communicative Language Teaching:CLT)が普及してきた」
『語学授業観察法の概観 ~ FLint, COLT, FOCUS に焦点をあてて~』
飯野厚(2009)
https://core.ac.uk/download/pdf/230239595.pdf
(この「に台頭して」というのは僕には違和感のある表現なのですが、文脈から考えると「に対して台頭して」というニュアンスかと思います)

「伝統的日本語教授法の時代、オーディオリンガルメソッドの時代、コミュニカティブアプローチの三つの時代に作成された初級の教科書を取り上げ、日本語教育の移り変わりを概観する 」
『初級教科書から見た日本語教育の変遷』 
三國純子(2002)
https://ci.nii.ac.jp/naid/110006982019/

以上です。10個もあれば充分かと思いますが、Googleスカラーで「オーディオリンガル」と検索するだけでいくらも似たようなものは見つかると思います。

一方で、オーディオリンガルを現代的な教授法だと認識している論文は、少なくとも21世紀になってからの査読付きのものではおそらく一つも見つからないのではないかと思います。

もちろん、「日本語教育史においてオーディオリンガルは過去のものだと認識されている」ということを踏まえた上で、「しかしその認識には反対だ」と主張されるのは意味があるかもしれません。しかし、一般的な認識を知らないというのはかなり違う話です。たとえば、少なくとも2つの大きなリスクがあります。

1つは、もちろん「もっと現代的な授業をしてください」と学習者から批判されることです。特に他の言語を学んだ経験のある学習者は、オーディオリンガルが現代的な教授法でないことが体感的に分かることが少なくありません。

2つ目は、教師としての能力を低く評価されてしまうことです。どれだけ魅力的な授業ができたとしても、ちゃんとした給料のところで働くには、こうした基礎的な知識は必要です。

もしかしたら、日本語教師の過半数がボランティアで、ボランティアには資格が要求されていないということから、このような基礎的な知識が共有されていないということなのかもしれません。しかし、有資格者なのにオーディオリンガルの位置づけを知らなかったとしたら、かなり危機意識を持ったほうがいいのではないかと思います。

それでは、こうした日本語教育の基礎を学ぶにはどうすればいいでしょうか。僕は日本語教育能力検定試験の勉強をされることをおすすめしたいと思います。養成講座には質の高いところも低いところもあり、質の高い養成講座の出身者なら検定はそれほど難しくないでしょうし、ハズレの養成講座に当たってしまった人でも、検定を持っていれば最低限の知識を持っていることは証明できます。実際にオーディオリンガルがどういうものかも頻繁に出題されているようです。そして言うまでもなく、検定の勉強をする過程を通して、日本語教育の基礎的な知識を身につけることができます。以下のようなオンライングループもあります。

日本語教師の資格を語ろう会 | Facebook
https://www.facebook.com/groups/Talks.on.JLTCT/

日本語教育能力検定試験の練習 | Facebook
https://www.facebook.com/groups/meiseikentei/

それから、なんとなく違和感を持っていた皆さん。ちゃんと勉強する機会のないまま現場に放り込まれて、「これって何か変じゃない?」と日本語教育に幻滅を感じたこともあるでしょう。しかし、幻滅する必要はありません。先進的な現場では21世紀にふさわしい実践を行っているところもたくさんあります。ハナキンなどでも、そうした輝いている同業のみなさんに出会うこともできます。

個人的には、僕の認識も変えなければならないということを痛感しました。オーディオリンガルが古いということはお互いに知っているという前提で「なぜ21世紀に20世紀の教え方をするのか」と質問するのではなく、「これは前世紀の教え方ですよ」というところから説明する必要があるんですね。自分が現代的だと思っていた教え方を「古い」と言われるから反発を招くのでしょう。ただ、今回いろいろな引用をお見せしたことで、少なくともこのブログの読者の皆さんにはオーディオリンガルの歴史的な位置づけはご理解いただけたと思います。

日本語教師研修などを行っている皆さんにとっては、今回の数字はかなりショッキングだったのではないかと思います。しかし、勉強する暇もないほど忙しい現場の皆さんを責めても解決にはならないので、もう少し基礎的なところから学べるオンライン研修などを企画したりする方向で努力すべきなのかもしれません。

そして冒険は続く。

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【参考資料】
むらログ: ソーシャル・ネットワーキング・アプローチとは
http://mongolia.seesaa.net/article/371368295.html

むらログ: 養成講座は現場と乖離しているのか
http://mongolia.seesaa.net/article/450932448.html

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