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違和感で禁止してはいけない

https://radiotalk.jp/talk/719206

冒険家の皆さん、今日もラクダに揺られて灼熱の砂漠を横断していますか?


今日は僕は職場じゃなくてワクチン接種のために病院に行くところです。

さて、今日お話ししたいことは、「違和感があるだけで他の人の行為を禁止してはいけない」ということです。どうしてこれを言いたいかというと、Twitterで平井辰也さんと話をしていたときのことなんです。平井さんが紹介してくれた新聞記事に介護施設でムスリムの女性が髪の毛を隠すための、インドネシア語で「ジルバブ」、アラビア語で「ヒジャーブ」とか「ヒガーブ」とか言うんですけど、それをつけたところ、事業所が「違和感があったので禁止した」というんですね。それについての記事はまったく批判的なトーンがなくて、もう本当に驚きました。それで、これがいかにマズいかということをお話ししてみたいと思います。

まず第一に、ムスリムにもいろんな考えの人がいらっしゃいますけど、敬虔なムスリムの女性にとっては、髪の毛を見せるって本当に下着姿で外出するするようなもので、まず人権問題ですから、そういうことは気をつけておかないといけないと思います。ただ、こんなことを言っても人権意識のない人だとかイスラム教のことを何も知らない人には理解できないと思うので、ここでは多様性と社会の進化についてだけお話ししたいと思います。

一つは多様性ですよね。これは『多様性の科学』という本にたくさんのデータがあるんですが、やっぱり多様性が低い社会や組織は非常に弱いんですよね。変化に弱いし、問題解決などのアイデアなども限られます。いろんな実証的なデータが紹介されています。『多様性の科学』という本です。これはすごくおすすめです。

2番目は社会の進化や進歩ですね。
つまり、違和感があるということだけで何かを禁止していたら、社会の進化や進歩を受け入れることができなくなってしまうということです。 例えばパソコンとかもそうです。僕はパソコンを初めて見たのは大学を卒業してからでした。だから大学ではパソコンの使い方なんて何も勉強していないわけです。スマホを初めて買ったのも2010年を過ぎてからのことでした。

だけどこういう時に、例えば、職場にパソコンを持ってきている人を初めて見て、それに違和感を感じた人が、「違和感があるから禁止」なんていうことを言っていたら、社会は全然進歩しないわけですよね。スマホとかもそうです。スマホも、使ったことがない人から見ればそれは違和感があると思いますが、しかし違和感があるから禁止などということを言っていたら、いつまでも社会は進みません。ですので違和感があると言っても、それが何か目に見える形のデメリットとか、重大な結果に繋がらない限りは、 違和感があるだけでは物事を禁止してはいけないと思います。というかはっきり言いますが、禁止しては「いけません」。特に迷惑もかかっていないのに、違和感があるというだけで、他の人の行為を禁止してはいけません。

その時にちょっと気をつけたいのは、 自分でも理由がよく分かっていないのに屁理屈を言って禁止してしまうことがあるということです。たとえば Twitter で豊福晋平さんという方がいらっしゃって、教育の現場にICTを普及させようとしている方なんですが、彼が「学校でシャーペンを禁止する理由がわからない」と Twitter に書いていたら、本当に色んなコメントが来ているんです。中には「シャーペンが凶器になってしまうリスクがあるから禁止しなければいけない」とかいう反論などもありました。しかし、実際に鉛筆などでも傷害事件が起きているんですよ。

ですから、凶器として使われてしまうという意味ではシャーペンも鉛筆も全く同じです。先が尖っていたら同じように使えるわけですからね。でもこれまで鉛筆というのは 凶器として使われるから禁止するということはなかったわけです。それはなぜかと言うと、学校現場では明治の後半ぐらいからずっと鉛筆が使われていて、違和感がないからです。だからそういう屁理屈を付けて禁止するということにはならないんですよね。

そして禁止しているほうも、それは屁理屈であるということが全然自覚できていないみたいなんです。

他にもたとえば「小学校の低学年でシャーペンなんか使わせたら授業にならない」と言ってる人もいました。僕は昨年までカナダの教育省で働いていましたけど、海外ではシャーペンを禁止しなくても普通に授業ができています。ですから、シャーペンを禁止したら授業ができなくなるなんていうことは全くありません。

問題は、そういう屁理屈で反論している人は、それを本当に信じているようだということです。それを考えると、要するに元はただ違和感があるだけで、実際にはほとんどデメリットもないのに、そういうふうに禁止してしまう可能性があるということです。それには本当に気を付けなければいけないと思います。

だけどここでもう一つ気を付けなければいけないことは、別に「違和感を感じてはいけない」などということは全くないということです。自分が慣れていないことだったら、違和感を感じるのはごく普通のことです。

僕だって最初に男性の同性愛のシーンを映画の予告編か何かで見たときは本当にすごく違和感がありました。だけど慣れますよ。去年か2年前ぐらいにフィル・コリンズの伝記的な映画『ロケットマン』を見たときは、そこにも結構激しい男性同士ののラブシーンがあるんですが、その時はもう普通に違和感なく見ることができていました。最初にすごく違和感があったのは1980年代ぐらいだったと思いますが (検索してみたら1992年の「おこげ」でした)。

なので別に違和感があってもいいんです。でも「それを禁止してはいけない」ということですね。

それともう一つは「みんなが同じようにそれをやる必要もない」ということです。みんな別々でいいわけですよ、多様性を確保するには。別々の方がむしろいいんです。

ですから介護施設で「髪の毛を隠したい」という女性がいればそれはそれで全然いいんですよね。つまり介護施設で髪の毛を隠したい人がいたらその人にはもちろん髪を隠す権利を保証して、それを禁止しないで、かつ、他の人は髪を隠したくない人は髪を隠さなくてもいいわけですよね。

繰り返しますが、違和感を感じることは全く悪いことでも何でもないんです。だけどそれを「禁止してはいけない」ということです。だけど気にしない一方で、「自分に違和感があることを同じようにやる必要もない」ということですね 。

それじゃ、病院に着きましたので、今日の「むらキャス」はここまでにします。

今日もご清聴くださいまして、ありがとうございました 。

そして冒険は続く。

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【参考資料】
豊福晋平さんのシャーペンに関する投稿
https://twitter.com/stoyofuku/status/1474515870659792901

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