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例文づくりをしない日本語教師

冒険家の皆さん、今日もラクダに揺られて灼熱の砂漠を横断していますか?

さてこれはかなり前から気になっていたことなのですが、最近もまた一つそういう発言を目にしたので、今日はこの気になっていたことについて書いてみたいと思います。

何かと言うと、「日本語教師の日常的な仕事として例文作りがある」という考えです。 Twitter などでも非常によく見かけます。先日も「日本語を教えると例文作りをすることになるんだけど」というような前提の発言がありましたし、一週間ほど前にはプロの翻訳家の方が「教科書をメインに勉強した人は文法はあるけど設定がない短文に慣れ切ってしまっているので場を捉える力が弱い」という発言もありました。

僕は、例文を作る日本語教師はそれほど多くないと思っていますし、文法はあるけど設定がない短文に慣れているのは文型シラバスの教科書で勉強した人だけで、現代的な教科書で学んできた人にはそのような傾向はないのではないかと思っています。

【例文づくりとは】


しかし細かい議論に立ち入る前に、まず日本語教育における例文作りとは何かを定義しておきたいと思います。僕とは違うイメージを持っている人もいるかもしれませんが、ここでは「まず教える文型だけが決まっている状況で、その文型が使われる場面を考えて役に立ちそうな文を準備する」ということが例文作りだとしておきましょう。

このような例文づくりが必要になるには二つの条件が必要だと思います。

【例文づくりが必要になる条件】


まず一つはその教科書が文型シラバスだということです。

文型シラバスというのは、簡単に言うと教科書の目次が文型でできているということです。その課の目的はその文型を使えるようにすることです。ですから試験ではその文型が使われる日本語が出題されたり、その文型を使って文を作ることが求められます。その文型を使わないと、日本語としては正しくても減点されたりします。典型的な教科書は『みんなの日本語』です。

例文作りが必要になるもう一つの条件は、その文型を使った文が教科書の中に十分にないということです。十分にあれば教師がわざわざ作ったりする必要はないわけですから。

さて、今「例文づくりが必要なのは文型シラバスの教科書だ」と申し上げました。では他のシラバスでは必要ないのかと言うと、実際に必要ない教科書しか僕は知りません。例えばタスクシラバスの TBLT やキャンドゥベースの行動中心アプローチの教科書です。

(なお、特に研究者でもない日本語教師の方はタスクシラバスとキャンドゥシラバスは同じものだと考えて良いと思います 。このようなことを言うと研究者からは批判されるかもしれませんが、同じ部分がほとんどなので現場で採用するかどうかを決める時にはタスクシラバスとキャンドゥシラバス、つまりタスクベースか行動中心アプローチかという違いは考慮しなくていいと思います。)

【例文づくりが必要ない理由】


では、どうしてこうした現代的な教科書では例文づくりが必要ないのでしょうか。ここには理由が二つあります。

一つはまず最初に「教えるべき文型」ではなくて「教えるべきタスクや行動」があるからです。つまり、やるべきことがまず最初に明確になっていて、どのような場所でどのような人たちが何のために話しているかというような場面が明確になっています。

文型シラバスの場合は教えるべき文型があって、それがどのような場面で使われるのかが教科書に載っていないことが多いので、それで教師がその場面を考えなければいけないわけですね。しかしタスクベースや行動中心アプローチの場合は、それが最初から明確なので教師が考えなくてもいいのです。

現代的な教科書で例文づくりが必要のないもう一つの理由は、これらは第二言語習得の知見を利用しているために、授業の初めに大量のインプット(つまり例文)が用意されているからです。

【実例】


それでは実際の例を見てみましょう。例えば国際交流基金が公開している『いろどり』という教科書があります。これは最初の初級1が出版されたのが2020年ですが、その前に 「JF 生活日本語 Can Do」 が2019年に公開されています。つまり2019年に教科書で身につける「やるべきこと」が決められて、その後、2020年に教科書がそのやるべきことに基づいて作られたわけです。

この 「JF 生活日本語キャンドゥー」の一番最初にあるのは駅での行動です。
「駅のホームで、駅員やまわりの人に、電車などを指差しながら、その電車が目的地の駅に止まるかどうかたずね、ゆっくりとはっきりと簡潔に話されれば、答えを理解することができる。」
このキャンドゥは教科書では入門編の第13課で扱われています。

さて、このキャンドゥに関連して、ここで学ぶべき文型の一つに
「この (乗り物) は (場所) に行きますか」
というものがあります。

文型シラバスの場合はまずこの文型があって、その文型が使える場面として、駅で駅員に尋ねるようなことを思いつく人がいるかもしれません。しかしこのような行動中心アプローチの教科書では、「JF生活日本語キャンドゥ」としてご紹介したように「駅で駅員に行先を尋ねることができる」というような行動目標があって、その後に、それに必要な文型として上記の文型が出てくるわけです。ですから文型をもとに場面を考える、つまり例文を作るという必要がないのです。

では次に例文が十分かということですが、この教科書では少なくとも6回この文型が出てきます。

このバスは空港に行きますか。
このバスは市民病院に行きますか。
この電車は大阪駅に行きますか。
この船は黒島に行きますか。
この電車は東新宿に行きますか。
このバスはマリンシティに行きますか。

つまり例文はすでに教科書の中にたくさんあるわけです。教師がウンウン唸って絞り出す必要はありません。これでも足りないと感じる人は、おそらく文型シラバスのままのイメージで行動中心アプローチの教科書を使っているのだろうと思います。参考資料の「行動中心アプローチでは文型が多すぎて大変?」をお読みください。

【2つの弊害】


さて、このような状況では、例文作りが日本語教師の仕事だと書いてしまうことには、大きな弊害が少なくとも二つはあると思います。

一つは、言うまでもなく日本語教育の経験のない人が誤解してしまうということです。やらなくてもいい仕事があると信じてしまって、日本語教師の仕事は大変だと誤解してしまい、優秀な人が業界に参入しなくなってしまうという影響があるかもしれません。また、疲弊している現役の日本語教師の方が、「日本語教師の仕事は大変なものなのだ」と誤解して、転職してしまったりする懸念もあります。

そしてもう一つの弊害は、そういうことを言っている人自身の評価が下がってしまうということです。というのも、やはり文型シラバスでしかも例文が十分に載っていない教科書を使っていて、それ以外の世界が目に入っていないということが、他の人に感じられてしまうからです。

でも、実際には日本語教育の世界はとても広いです。

今日申し上げた文型シラバスだけでなく、タスクシラバスも Can Do シラバスも、広い日本語教育の世界の中では、教科書を使う一斉授業というひとつのカテゴリーにすぎません。

それ以外にも例えば教科書の代わりに、村上春樹の小説や、鬼滅の刃のようなアニメを教材にする CBI という教え方などもあります。またソーシャルメディアを通して直接その言語の話者と交流することを通して新しい言葉や文型を身につけていく方法もあります。教科書はおろか、教師がシラバスさえ作らない自律学習もあります。

このように日本語教育の世界は非常に広いので、その中の非常に特殊な一部だけに目を向けずに、 多様な選択肢の中から、みなさんに最も適している方法を選んでいただければと思います。

そして冒険は続く。

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【参考資料】
この記事の音声版はこちらです。https://twitter.com/i/spaces/1OyJADeMVVzGb?s=20 

JF生活日本語Can-do|国際交流基金日本語国際センター https://www.jpf.go.jp/j/urawa/j_rsorcs/seikatsu.html 

TOP | いろどり 生活の日本語 https://www.irodori.jpf.go.jp/ 

むらログ: 行動中心アプローチでは文型が多すぎて大変? http://mongolia.seesaa.net/article/457955833.html 

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