時の流れ。

 まず最初に、ありがとう。未来に輝いた方よ。俺はVの走りに見ていた貴女が自由に言葉を紡ぐ姿が好きでした。またインターネットに帰ってきてね。
 次に。戯画様、あの時電脳空間で無限にコンボを考えさせてくれてありがとう。スカイでは全ての道程に意味を持たせ、観測した結果を素晴らしい光で満たしてくれたことに感謝を。
 今日はエイプリルフール、みんながみんな、何かに浮かれている日なのかもしれない。

 嘘、というのは思いつき、言動に表すのは非常に簡単だ。臆病な人はその後に発生する受け手側の感情を考えてなかなか言い出せないこともあるだろう、立場的にアウトだったりもするだろう。でもそういう人間はある意味ひと握りだ、その他は自分の言動に意味なんて無いと考えている。だから電子の海では火種が耐えない。
 波風を立たせるのが嫌い、というか立たせてから発生する自分が処理しなければならないタスクを考えると絶対に立たせたくない性格です。面倒事は嫌なんだ。それでも立場上口に出す、指摘する、矯正する、そんな立場に私は少しだけ立ってしまった。これが、時の流れなのか。
 八方美人、いい顔だけしててもこんな場所に立たされてしまう。自分からすればそこに立つ人材が居なさすぎる事に少々疑問を持ってしまうがそれは置いておいて。前に進もうと考えなくても立ってしまう、それが時の流れ。
 エイプリルフールネタはとても楽しい。一時の息抜き、やりたいことを少し強引に表現していい、やりすぎ注意ではあるけど。だからいつも見ていたぶっ飛びネタが見れなくなるのはやはり寂しいものなのだ。
 先程も名前を出させていただいた戯画様ですが、昔見た時はスカイとスカイZEROの主人公2人が濃密に絡んでるHPを見た。結構面白かった。ZEROの本編でそこそこ絡んではいるが絶対にそういう状況にはならないし、何よりお互い大切な存在が居るからである。それでも絡ませられる魔法の日、それがエイプリルフールだった。
 もうそれも見れない。1つの終わりが来た。いや、随分前からフールに向けてネタを仕込んでたか怪しいぐらい音沙汰なかった気がするが、まぁいずれ見れるだろうという芽さえも摘み取られてしまった。残った大地に何を見い出せばいいんだ?
 友人に時の残酷さを嘆いた。大きな、いや小さくても前を走り続けるものの不在、そこにあったのにいつの間にか消えてしまった花、コンテンツの消費は刻一刻と早くなっている。その一瞬を瞬きすれば見逃してしまうほどに。

 仕事上、どうしても時間の流れに対する残酷さを味わってしまう。高齢な方が1週間寝込むとする。いざ体調面が完治したとしても身体の自由さは大きく損なわれてしまうのだ。寝込む前に戻ろうとするのに、年齢に対してあまりにも重すぎる時間を有してしまう。職務としてその事柄に真っ向に直視しないといけないのだが、無理なものは無理なのだ。
 常日頃観測して、あの時は大丈夫だった、という空虚な感想は人もコンテンツも選ばない。いずれ廃れ、灰になり、その灰が宙で霧散するか、新たな肥料になるか、それは神様にしか分からないだろう。
 推しは推せる時に推せ、今どういう瞬間を大事に生きろ、何割の人がそれが出来るのだろうか。出来る人はちゃんとその自覚を誇ってくれ、あんたは時代の流れに目を背けず見つめ続けているのだから。
 廃れ、生まれるスピードがインターネットの世界では早すぎる。1ヶ月でサ終すれば、その内容でまだ生き残ってるのか、なんてゲームも多数ある。生き残ってても全盛期のような脂の乗った内容を出してくれる訳でもないし、更に味に磨きがかかることもある。
 時の流れは残酷なのだ。平等なんて生ぬるい、俺たちは今、時間に怯えて前に進んで死ぬしかないのだ。

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