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年の瀬を華やかに演出する

花ごよみ by Ocarina ④ 「シクラメンのかほり」

年の瀬になると花屋さんの店先に華やかなシクラメンの鉢花が並びます。

冬に本格的な花期を迎え、厳しい寒さのなかを翌春まで咲き続けるけなげな花です。いまや鉢植え植物としての出荷量が日本一の人気を誇っています。

原産地は地中海沿岸の丘陵地帯。明治の初めに渡来し園芸植物として広がりましたが、地味な存在で愛好家以外は知らなかったでしょう。

現在のように誰でも知っている花となったのは、昭和の名曲「シクラメンのかほり」(1975年、小椋佳・作詞作曲、布施明・歌)の大ヒットから。私もこの名曲によってシクラメンの花を知りました。

テレビから流れてくる布施明さんの歌声は、社会人になったばかりのうぶな青年の孤独を癒してくれたのでした。とにかくメロディがきれいで、歌詞もいま思えばベタなストーリーですがスッと心に忍び込んできました。

レコード大賞、FNS歌謡大賞など、その年のメジャーな音楽賞を総なめ。布施さんの声量たっぷりの歌い方もカッコイイし、風貌に似合わぬ(失礼!)小椋さんの甘くささやくような歌い方も好きです。

作詞・作曲を手がけたシンガーソングライター「小椋佳」が、東大出身のエリート銀行員と知ってびっくり。二足の草鞋、いまふうにいえば二刀流。

偶然の出会いが名曲の誕生のきっかけでした。銀行員時代の小椋さんが、東京・赤坂の取引先の会社で休憩していたとき、たまたま見かけた馴染みのない花をヒントに思い浮んだ、というのです。

確かに、シクラメンは不思議な姿をしています。一見してわかるのは、5枚の花びらがゆらゆらと立ち昇る炎のようです。和名「篝火花」の由来でもあるのですが、人の目を惹きやすいといえるでしょう。

ただ、ここからどうして「シクラメンのかほり」の世界につながっていくのか、凡人の頭ではついていけません。詩人の思考回路はやはり独特です。

「真綿色」「うす紅色」「うす紫色」という花の色で、男女の出会いと別れ、心の変化、時の経過を表現しています。オシャレですよね、ほんとに。

「呼び戻すことができるなら/僕は何を惜しむだろう」という最後の絶唱が切ないです。

過ぎ去った時間は取り戻せません。ただ懐かしむだけ、なんですね。

(福さんのオカリナ。名は体を表すのとおり、ふっくらとした1音1音が素敵)

デビュー50年を迎えた2021年、小椋さんは秋のツアーを最後に引退を表明しました(2022年末までに延期)。大物アーティストが次々と引退していく昨今、また淋しくなります。

ところで、シクラメンの和名には「篝火花(カガリビバナ)」のほかにもうひとつあって、なんと「豚の饅頭(ブタノマンジュウ)」。英語名を意訳して「パン」を「饅頭」に置き換えたようです。

まだパンですらなじみのない時代だったからですが、この「無粋な名前」が定着しなくてよかったと思うのは私ひとりではないでしょう。

★「花ごよみ by Ocarina 」は月1回掲載

「シクラメンのかほり」作詞・作曲 小椋佳 昭和50年(1975)

「時が二人を追い越してゆく」

真綿色したシクラメンほど
清しいものはない
出逢いの時の 君のようです
ためらいがちに かけた言葉に
驚いたように ふりむく君に
季節が頬をそめて 過ぎてゆきました

うす紅色したシクラメンほど
まぶしいものはない
恋する時の 君のようです
木もれ陽あびた 君を抱けば
淋しささえも おきざりにして
愛がいつのまにか 歩き始めました

疲れを知らない子供のように
時が二人を追い越してゆく
呼び戻すことができるなら
僕は何を惜しむだろう

うす紫色したシクラメンほど
淋しいものはない
後ろ姿の 君のようです
暮れ惑う街の 別れ道には
シクラメンのかほり むなしくゆれて
季節が知らん顔して 過ぎてゆきました

疲れを知らない子供のように
時が二人を追い越してゆく
呼び戻すことができるなら
僕は何を惜しむだろう

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