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国際政治同時進行世界史&日本史 抽出 2024.4.17

 資料の正確さを確認しながら、主に4世紀以降の期日を導出して行きます。
 埼玉県サキタマ古墳内稲荷山古墳出土記銘鉄剣依り
⑻乎獲居オワケ🟡の上祖 
 ⑴意富比垝・・・・・オホヒコ🟡・・・・・・孝元天皇第1皇子の位置に
居ます。(133~206)です。
 ⑵多加利足尼・・・・タカリノスクネ🟡・・・武内宿禰
 桓帝霊帝146~189の暦年主無し戦争は、任那から帰国した倭迹迹日百襲姫命(114~198、84歳)、子の崇神天皇(157~198、41歳)の時代です。
 ⑶弖已加利獲居・・・テヨカリワケ🟡・・・・垂仁天皇(180~250、70歳)、
日本武尊

 ⑷多加披次獲居・・・タカヒシワケ🟡・・・誉津別尊・・・垂仁天皇と狭穂姫と間の子、と云われて居ますが、景行天皇以外に、該当者が見つかりません。
 狭穂姫は、開化天皇の子の日子坐王子の子と云われて居りますので、強いて、該当者を上げて置きます。水穂五百依比売命/日子坐王子(182~211、29歳)・・・母は、天之御影神の娘の息長水頼比売。御井津比売(193~226、33歳)も該当します。
 誉津別尊の該当者を、強いて同世代の男性で、列記致します。水穂真若王命/日子坐王子(189~248、59歳)、神王根王/日子坐王子(190~253、63歳)、大筒木真若王命/日子坐王子(191~230、39歳)、🟡倭日子命/崇神子(197~239、42歳)、八坂入日子命/崇神子(189~238、49歳)
景行天皇(213~298、85歳)、👈もしかしたら、母は、御井津比売(193~226、33歳)
 大物主、大国主、鰐族、藤原、崇神ー近回り渡来系と、
饒速日、邇邇芸、鷹見産霊、神産霊ー遠回り帰国系との、
🔵大対立が透けて見えて来ます。
皇后は、邪馬臺國の壱輿(245~295、50歳)。

 卑弥呼は、崇神天皇娘の豊耜入姫命(184~248、13歳で引継ぎ、64歳)。
又は、馬韓の○姫。👈君が代の元歌の主人公。
 同定には、福岡県田川郡赤村の古墳の発掘が必要でしょう。
 266年邪馬臺國の壱輿は、張政を半島の楽浪郡迄送り、黄河が西安から流れ降った平野部に在る洛陽迄、出向いて居ます。
 前年の265政権樹立した司馬炎が武帝と成って居ました。武帝と面会して、壱輿
と誉津別尊は、王と成れと云われました。
 別れて、上海近郊の東シナ海沿海で歌ったのが、
有名な、「 倭は国の マホロバ たたなづく青垣 山隠れる 倭し麗し  」です。
 二人の間に、
 ❶266年、成務天皇(~310)・・・・・⑸多沙鬼獲居🟡・・・タサキワケが誕生
しました。
 ①268年には、仲哀天皇(~319)が誕生して居ます。

 新羅では、310年訖解尼師今が即位して居ます。但馬國出身の昔氏の最後の王
です。以降、娘が部下と結婚して、金氏と成りました。

 新羅本記第二に依ますと、312年春3月 倭王は子の為に、阿(冫+食)の急利の娘を貰居ました。
 これは、端的に、新羅に敗北し、戦死した事を示して居ます。子は、和哥奴気王です。
❷品陀和気命/応神(320~394)・・・・⑹半弖比🟡・・・・  ハテヒ
❸大鷦鷯/仁徳(337~419)・・・・・・ ⑺加差披余🟡・・・  カサヒヨ
❹伊邪本和気命(369~432)/履中・・・⑻乎獲居🟡・・・・  オワケ・・・讃
子は、❻嘉・・・市辺押磐皇子(416~458)。雄略天皇が、狩りに連れ出して射殺す。
孫が、❼飯豊青天皇、仁賢天皇(447~498、満)❽顕宗天皇(451~488、哲)、です。仁賢天皇の子が武烈(489~506、牛慈、葛子)です。
❺蝮水歯別命(380~438)/反正・・・弟の珍

 天皇は、①仲哀天皇が成りました。海外との戦争はせず、記録も無く、319年に崩御して居ます。
 皇后は、彦人大兄命の娘の大中姫です。子供には、籠坂命297~326と押熊尊300~327、②誉屋別命-品夜和気311~374が居ました。
 344年②倭王(33歳)は、再び婚姻を申入れましたが、先例が有るので、断って居ます。
 子の該当者は、伊箸能麻和迦王命(345~390)と③大山守命(346~395)です。
 末子相続ならば、③大山守が天皇です。

 天皇の子を、366~376で探します。
菟遅能和紀郎子尊(367~396)
額田大中日子命(370~422)
若沼毛二股王命(372~424)
④速総別王命(376~411)🟡・・・獲加支鹵大王
大羽江王命(378~434)
墨江中津王命(375~419)
⑤若子宿禰命(393~453)/允恭・・・倭の五王の済
允恭天皇の即位年は、412年です。よって、允恭天皇の前の該当者は、
④速総別王命(376~411)と成ります。
次は、
允恭天皇の子の
⑥安康天皇(416~456?)・・・興👈崩御年をいじってある可能性大です。
次は、弟の
⑦雄略天皇(418~479)・・・武です。勝戦ですので、戦死では有りません。
 倭から嫁に行った筈です。該当者の姫が二名居ます。
 新羅王皇后は、高木郎女命/仁賢娘(463~506)
 百済王皇后は、妹若帯比売/雄略娘(444~508)
次は、雄略天皇の子の
⑧清寧天皇(444~484) 485年百済と新羅が和を結びました。
⑨韋本𥝱命/継体天皇(450~531) 男大迹は、和風諡号では無く、諱です。

 磐井は、新羅の方を持ちます。
 仲哀天皇系列は、4世紀に、近畿地方の大阪府や奈良県に移動した可能性が有ります。
 丸富山古墳の巨大蛇行剣が、鰐族ー4世紀以降奈良県異動後改名の春日のカスガの物で有る可能性が有ります。
 太陽黒点周期の影響で、地球に、約300年毎に来る、寒冷化や干魃の影響も有り、日本人の遺伝解析で最近判明した、5世紀の古墳人の大移住の開始です。

 因みに、近年の変動は、天候だけに止まらず、ほぼ、過去最高の地球大変動です。

 武内睦康氏に最敬礼。





 



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