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歴史変動21 2023.2.4

 万葉集22番歌23番歌24番歌25番歌26番歌27番歌

 天武天皇の娘で、天智天皇第一皇子の大友皇子に嫁いだ十市皇女に関して
吹キノ刀自が伊勢神宮参拝時に作成した歌です。
 次の23番歌は、麻続王(をみのおほきみ、本名不詳)が渥美半島伊良湖岬(伊勢国の配下)に流刑になって詠んだ歌です。
 麻続王の娘が忌部子人子弟に嫁いでおり、取りなしにより、伊勢国に流罪になったと云う説が有ります。
 伊勢国と尾張は海路で通じており、途中の島々は伊勢国の配下です。

 麻続王とは、夫の大友皇子、弘文天皇です。
 薬を伊勢神宮に届けた、大来皇女の伊勢神宮斎王着任に随行した、等、天武天皇4年2月13日阿へ皇女(元明天皇)と共に伊勢神宮にお参りをして居ます。
 十市皇女は、夫大友皇子をいつ迄も、お待ち致して居りますと、詠んで居るのです。
 其の十市皇女は、父天武天皇が天武天皇7年4月7日倉橋河の河上に建てた斎宮に出向く朝急死して居ます。父天武天皇は声を出して泣いたと云います。
 間人皇女とは全く違います。
 大坂の陣で家康の娘が大阪城から出て来たのとは対照的です。

 夫の麻続王は、
24番歌で、空蝉の命を惜しみ 波に濡れ 伊良湖の島の玉藻刈り食
と詠んで居ます。

 25番歌は、天皇御製歌です。
25番歌 念乍叙来(オモヒツツゾコシ)
26番歌 思乍叙来(オモヒツツゾコシ)
 此力量の広い天武天皇の無念さが伝わります。

 だから、27番歌ー此も天武天皇御製歌 芳野宮で詠む。
27番歌 淑(ヨキ)人の 良し跡(ト)吉(ヨク)見て 好(ヨシ)常(ト)言ひし 芳野吉(ヨク)見与(ヨ) 良き人四来三(ヨキヒトヨクミ)

 人を見抜けと云って居るのです。

 皇族の非情さがヒシヒシと伝わります。

 でも、十市皇女の行動により、聖武天皇~光仁天皇のドサクサが、あれで済んだと思います。


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