崩壊の過程

 去年の12月、「私は誰の何になりたいんや」と残していた。誰の何になりたいんや。誰の何にか〜。ずっと言ってそう。誰かの何かになるを言えなくなってきた。な〜。誰かの何かになるとの次に難しいのは寂しいだな。愛はいくらでも語れる口は持っているが、人の気持ちを考えると私のものになれよ、、(仮台詞)なんてもう、考えるだけで、破滅しかない。破滅を選ぶ度胸もなくなってきた。安全を獲得する代わりに永遠に寂しい。こう、選択肢を出すと、どれがマシか、を考えてしまう。ひよりがすごい。いつからこうなった、歳のせいにでもしてしまうか。だからいつまで経っても、、なども余計な世話をやく輩に言われてしまうのだろう。

なんだか本当につまらない人生だ。過去そうでない時もあっただろうが今総括してそう思う。上書きした上での統計だ。私調べの。待ち受けている面白いことがあるのか。予定は未定であり決定ではないと高校のビジネス基礎の先生が言っていた。たかが知れた未来は早く切り上げてしまった方が良いとも思う。時間の無駄だ。
メメントモリが希死念慮に飲まれそうで、もう泳ぐ力もあまり残っていなくて、あ〜難破船てこんな気持ちなんやなんて思っている。私がこのままリヴァイアサンになったら東京を生き物ごと海に還します。

ファンタジーの世界、というかRPGの世界では私はアサシン大好き民なのだけど、アサシンって幼少期酷い目あってるパターン多いよね。なんで?私もジョブはアサシンがいいけどまた幼少期だるい思いせなならんのやったらもう宿屋のモブで、いやもう山とかでいい、空気とか。あ〜吸血鬼なりたかった。

夢はパイロットでした、って青木が言ってた。
私は本屋だった。漫画だけを取り扱う。本屋にはなっていないが、家には漫画が割とある。ちょっと夢叶ってんじゃん。囲まれてるね。私しか読まない大事で可哀想な漫画たち。でも漫画だって私をそこに住まわせてはくれない。2Dの世界に。愛している人たちがいる世界からそちら側に行ってすべてをやりかえたい。ここはもう無理だ。私を手に負えないと思っている目が言葉が刺さって刺さって刺さって、

あ〜赤いコートが欲しい。フェルトっぽい。ボタンはめっちゃ焦茶で松ぼっくりみたいな。襟は丸くて大きめ。黒いタイツが似合うような赤いコート。チョコも似合うね。ひとは、じぶんがおもってるより、わたしのことをみていない。それは嬉しくもあり悲しくもある。グレーの輪郭だけをみるって、それ、おもしろいの?やったげようか?ってやってるだけのそれ、おもしろい?
多分昔からある、これは、知っている。
私は胃を引きちぎって心臓を口に押し込むようなそこまで無理に入って来れる人を探しているずっと。みんな優しいから途中でやめてしまう。優しいと嬉しいけれど、汚してはダメだなと思う。本当を知るにはゴア描写は避けられない。誰か、誰か、いないのか、と探していたが、結局1人だと気付く。

あ〜パピコ食べてえ

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