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さきちゃん

 毎年、季節のどこかしらの陽だまりで私はよく彼女を思い出しては、SNSのフォロー欄から探して近況を覗く。私になくて私が好きな、まだ肌寒い春の子。

本当にたまに、2〜3往復のメッセージのやりとりをする。最近で言うと彼女は京都から福岡に戻ったそう。私はその頃まだ先田と暮らしていたので、ひとまわり違う男の子と生活しているよ、と言うと「アヤさんっぽくて良いです」と返ってきた。彼女からみた私はどんな人間なのだろう。

私たちは深く関わっているわけではない。初めて会った時は記憶が正しければ彼女は友人の恋人で、歌を歌っていて、いつの間にか京都にいて、たまにひどく苦しそうで、それなのに整然と、きちんと健やかにしていて、愛犬をおもいながら猫たちと生きている、決して冷たくはない白い箱のような人だ。私はそれを羨ましく思う。私がもっていない属性は、とても眩しい硝子だ。

少ないやり取りの中でいつも、健康第一だね、と締めくくる。彼女と話して数日間は(結局元が違いすぎるので堕落と享楽が私をのむのだが)身がピッとなる。外に出かけたくなる。部屋の掃除をしたくなる。何かをする、後回しにしていた身近なことをこなす意欲が湧く。ただの近況報告の中でそんな風に思わせてくれる彼女のパワーは大きくて柔らかで強い。私の中のさきちゃんは私の偶像かもしれないけれど、いつまでも健やかに澄んでいてくれたらうれしい。

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