「モジャパックンが食べてしまうね」


アドレリアンパパです。アドラー心理学を育児に使おうと思っております。ただいま二児の父親で、長男、次男の男児の父親です。別に、イクメンということではなく、専業主婦のママと一緒にたまに育児をしていますが、3歳の長男と私の人間関係は良好です。

さて、今日は、長男の片付けについて書いてみようと思います。

多くの家庭がそうだと思いますが、最近、世の中を騒がしたベネッセさんのダイレクトメールが、私の家にも来ております。また、ベネッセの”こどもチャレンジ”教材のお古が、親戚からうちに回ってきております。

さすがのベネッセさん、しまじろうの絵本は子供が食いついています。長男が、「読んでください」と言うので、読んでやるのですが、その中の一つに、”モジャパックン”なる便利なキャラが出てきます。さすが天下のベネッセさん。100%、親の都合です。

モジャパックンは、しまじろうが散らかしていたおもちゃを食べてしまうキャラです。「おもちゃをちゃんと片付けると食べないので、かたづけをしようね」という、いかにも親にとって都合の良い物語を作って、それを子供が受け入れてしまうので、「さすがベネッセさん、商売がうまいなあ」と思う訳です。

果たしてこれが、子供の教育としてよいのか(架空のお化けを設定し、それの脅しを通して、子供に片付けをさせるという脅しの構造が、子供の教育に良いのかという論点です)というのは置いておくとして、親としては、モジャパックンの存在は相当に便利です。しかも、嘘をついているのは、ベネッセであり、パパやママではありません。完全な免罪符ですね。

さて、うちの長男も、レゴブロックの大きいやつ(デュプロ)などを散らかすのですが、そこで長男に声をかけます、

「長男君は、おもちゃを散らかしておくんだね。もう、夜も遅いし、おもちゃを放っておくと、モジャパックンがきて食べてしまうかもしれないね。それは、長男君のおもちゃであって、パパのおもちゃじゃないので、パパはそのおもちゃがモジャパックンに食べられてもいいけど、長男君はどうするの?」

と言ってみると、長男君は、慌てて、おもちゃを片付けだします。

まあ、これは、単なる嘘による脅しなので、良くないとは思うのですが、モジャパックンを設定しているのは、ベネッセさんなので良いとしましょう。きっと、良くないけど。

私が言いたいのは、そのモジャパックンが便利だと言う点ではなくて、モジャパックンを利用して、おもちゃの片付けという課題を切り分けている点です。おもちゃを片付けない結果、おもちゃが壊れる、なくなる、というのは、おもちゃの所有者である子供の問題であって、親の問題ではありません。なので、その課題をモジャパックンにより明確にしているという点は、これはアドラー心理学に寄り添っていると言えましょう。(モジャパックンという嘘で子供を脅している点は、アドラー心理学とは言えませんが)

この場合、リビングを片付けない結果、おもちゃにつまづいたり、分で足が痛いことになるというのは、家族の問題であり、パパとママと長男の問題であります。一方、おもちゃが壊れるのは、おもちゃの所有者である長男の問題です。これを切り分けるのは結構大事であるかと思います。

より、シンプルに長男が理解できるのは、長男の問題です。大事なおもちゃがなくなると長男は困る訳で、それを自主的に、防ごうとします。そこにモジャパックンという架空のキャラをかませているのは、親の邪心ですが、モジャパックンにより、子供に対して、子供の課題意識を持たせているという意味では、これは正しい気がしています。

実際、子供にとっても、おもちゃを片付けないよりは、片付けた方がメリットが大きい訳で、それをどう、理解していくのか、という点が教育である気がします。

まあ、子供がどんどん自立していくので、さみしくもありますが、同時にうれしくもありますね。


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