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その人にとってのサードプレイス

彼は彼自身が楽しんでいることや本気で取り組んでいることをその様子が分かるように伝えてくれる。普段から私と彼は趣味や共通の友人のこと、世間話や人生観などたくさんの話をしてきた。そんな彼と行きつけのラーメン屋で彼から今まさに本気で取り組もうとしていることを聞いた。よく会ってるにも関わらず普段からなんとなく近況報告から話すのが定番なのだが、今日の彼の近況報告はいつもにもまして熱がこもっていた。私の興味分野の話で色々聞きたいと思い、深堀してみるとより一層面白い話が聞けた。以前も彼からサウナの話を聞き、たまたま私の興味と重なったため一緒にサウナへ出向いてみたら、彼に負けず劣らずのサウナーになれたということもあり、今回もワクワクさせられると期待していたら本当にワクワクさせられる話を聞けた。ただ、今回は彼のワクワクを同じ場では共有しないほうが面白いと感じた。
期待外れだったわけでは決してない。彼の本気で取り組もうとしていることの土台となる場は彼が見つけた彼自身のサードプレイスだと私は勝手ながら感じた。私にも誰にも自慢できるサードプレイスがある。だからこそ、彼が見つけたサードプレイスが私も同様にワクワクする場にはなり得ないと感じるし、私のサードプレイスもまた彼をワクワクさせる場になり得ないとも感じる。私と彼が自分自身で見つけたサードプレイスだからこそワクワクする価値があるのであって、他の人に強制されるサードプレイスの価値は必ずワクワクするとは言えないだろう。自分自身で見つけるサードプレイスだからこそ心の安寧が生まれ、そこにサードプレイスの価値が見出される。これが私のサードプレイス論なのだろう。
今回の彼へのワクワクは彼の本気で取り組もうとしていることよりもサードプレイスを見つけた彼への新たな興味なのだろう。そんな彼と共に活動するチームのリーダーとして、今のチームをこれまでもこれからも彼だけでなく他のチームメンバーにとって、自らの見つけたサードプレイスになり得る存在に近づける努力をすることが今の私のミッションなのだろう。そんなお互いのサードプレイスの面白さを今度はサウナに行った時にでも語り合いたいものだ。

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