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AD NAUSEAM web 発足に際して

かつてマジック・ザ・ギャザリングというゲームが、2エキスパンションで1つの次元を描くという縛りプレイに興じていたイクサランブロックの頃、2017年にMTG情報誌「AD NAUSEAM」は刊行されました。これはマジックを遊ぶ時に必要になる、秋葉原のデュエルスペースに関する情報をまとめた本と同時に作られたものです。数多のプレイヤーたちにとって必要だと思われる情報を編纂していく中で、その中に決して必要とされないであろう情報・・・・・・・・・・・・・が存在することに気づきました。あたかもそれは、調整を重ねていく上で枚数を減らしていった、特定マッチアップにおいてのみ活躍するサイドボード用のカードのように。
以来、サークル「点数で見たマナ・コスト」では、一見不要にして無用な情報が、誰かにとっての銀弾シルバーバレットであり、そういうものを尊ぶことこそがコミックマーケットという表現の環境メタに相応しいと信じて、全く役に立たないであろう情報をこれまで編纂し提供し続けてきました。

流行病による危機を幾度となく乗り越え、マジックは今現在も在り続けます。誰かが貴重な時間を費やして、勝つため、あるいは楽しむためにカードを手に取っています。これまでの間、マジックは何度も終わると言われ、終わったと揶揄され、そして事実終わってきました。憧れていたプロが突然いなくなったときも、相棒の総合ルールが変わったときも、Foilの品質がブースターごとに大きく異なっていたときも、Secret Lairが連続で発売されるようになったときも。
マジックはこうしている今も終わり続けているのでしょう。これまでの細かな滅びや綻びのひとつひとつを取り上げて、このゲームの終末を謳うことは、最近の出来事に絞ったとしても容易です。私達は何度も裏切られ、何度も失望し続けてきました。しかしそれでもなお、このゲームはまだ見限るに値しない。遊び尽くしたと思ったことなど一度もない。旧いゲームだと指さされ、どれだけ馬鹿にしようとされようと、マジックは今でもなお私達の傍らにただ在り続けています。
その間口を広げることや良き文化として誰かに伝えること、高尚ぶることには今更興味はありません。マジックがそうであるように、私達もただ自由であること。どれほどに遊び倒してもなお遊び足りない、世界最高の玩具を前にして私達にできることは、自由気ままに振る舞うことのみです。たとえ何度手持ちのデッキを崩そうと、フォーマットを変えようと、カードをすべて売ってしまったとしても。それこそが同じ環境に存在し続ける私達にできる唯一正しいプレイだと信じています。

AD NAUSEAM webはそうした自由度の高い情報を、夏冬の年二回という規定の枠を超えて、 すべてのマジック・プレイヤーとマジック・プレイヤーでない人びとへ伝えるために、webメディアとしてここに発足します。私達がマジックというゲームについて語ることは止めようがありません。私達が幾度離れても、いつかふたたびマジックをプレイしてしまうように。それがどれだけ無益な情報だとしても、荒唐無稽な嘘だとしても、いつか対面に現れる誰かのデッキに刺さる可能性がゼロでない以上、私達は不要と断じられたカードを喜々としてデッキに加えて、カードショップへと赴くでしょう。

二〇二三年 三月 鷺ノ宮



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