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ドレミファソラシドで笑われた話


どうも、あんどーまいかです。

軽いトラウマから立ち上がってくる話です。


音感とはなんぞや。
なんでしょうね。今も思ってます。

ドレミファソラシドっていえば
まあ、音楽の基本的な話なんですけど、

ドレミファソラシドで笑われるなんて
あの環境下しかなかったですね。

まあ、音程がとれなさすぎて
笑われました。
絶対音感もなければ、
相対音感もまだまだな時の話です。

将来の夢を決めた話でも、
クラスメイトに音痴といわれたことが
あったとかいてたんですが、

自分自身は音痴だという自覚があまりなくて。

笑われたのが高校生の時。

それまで自覚はなかったものの
時々、あれ?音痴かもしれないな???
みたいな予兆はもちろんありました。

けど、音って何、音階って何状態でした。
音楽の授業は好きだったし真面目だったので
知識はあったし、記号もわかる。
譜面は読めるけど、耳で把握してないんです。


衝撃かつ私の心がジェットコースターのごとく
暴れまわる高校生活となりました。


そもそも音階は知っているけど
声に出せない、表現できない。

意味はわかるけど再現できない。

それは昔からでした。

小学校卒業したあたりから
カラオケにいくようになって、
中学生の時もわりと頻繁にカラオケに行ってました。

その時も自分は歌えていると思ってて、
そもそも音程を意識したことがなくて。

イントネーションが音程だと思い込んでいて、
私はそのイントネーションを再現してました。

これ音感がある人には理解してもらえないんですが、言葉にメロディーがある。
といえばわかりやすいのかな。

文章にメロディーを感じるというか、
言葉にリズムと音がそもそもあるという認識。

音感があるひととか、絶対音感の人って
ドって聞こえてると思ってたんです。

ドっていう言葉が見えてるんだと思ってたんです。

それくらい音程がなにかをわかっていなかった。
今も音を聞いてどの音がド!とか、わからないけども。

音、そのものを感じることはできるようになったし
いろんな音を楽しめるようにはなっていきます。

だけど小学~中学は歌詞先行で音楽を聴いていて、
言葉ばかりでバックで鳴っている楽器の音なんて
ほぼ聞こえてなかった。

意識してなかったから。
ほんとにきこえてなかったんだとおもう。

作詞はほぼ毎日してたけど、
作曲はなにからしていいかわからなかった。

中学卒業前にアコギを買ってもらったけど
全然弾けなくてすぐ挫折してしまった。
そもそもチューニングも音が合ってるか
わからなかったので弾いてもコードが
合っているかわからないし。

ギターって弾いたらその音自身の言葉が
見えるんだと思ってたんで
なにもみえないし、聞こえないし摩訶不思議。

Cの音が見えないし、チューニングの意味がわからない。弾けば音は鳴るのに音楽の再現ができない。

これは、誰かに教えてもらったほうがよい。
そう考えました。

そんなこんなで高校生になって、
軽音楽部に入部しました。

そこの軽音楽部は一般の人が想像するような
自由さはまったくなく、The部活動というか。
バンドを組むぜ!というような部活ではなかった。
(どっちかというと吹奏楽部みたいな軽音部)

入部の際に希望のパートを選ぶという
体育会系な部活でした。

作曲をしてみたかったし、アコギも弾けるようになりたかったしで、ギターにしようか迷ってたところ、ボーカルやりなよ、と同期の子に言われました。
(多分、楽器隊のライバルを減らしたかっただけだろうな)

確かにボイトレとかするべきだな。と思いつつ
でもばかにされないか不安だな。と悩みながら
体験入部期間をすごしました。

ずっと見学するだけの体験入部期間も最終日。

最終日は卒業生があそびにきていて、
GOGO7188のC7を先輩たちがセッションしていました。
それがめちゃくちゃかっこよくて。

たのしそうにうたってて。
眩しく感じました。

私もうたいたい!!!って思いました。

しかも同期の中でボーカルを専攻する人が
いなかったので、私、ボーカルやる!って勢いで宣言しちゃいます。

めちゃめちゃ緊張したの覚えてる。
震えてたと思う。私にしては、勇気を出した。

で、発生練習をするんだけども、
誰かと一緒にやると乗っかって多少音が取れる。

ひとりになるとものすごく迷子になる。

ってことがわかり出した。


経緯は忘れたけど
顧問に同期と一緒に別室に呼ばれて
試しにドレミファソラシドを
言ってみて。とゆわれたから

ドレミファソラシド

っていったんですよね。

もちろん、音階通りゆってるつもりで、
音をあげていくイメージをしながら。

すると、爆笑がおこった。

音がはずれてたから。

え、まじめにやってるんやんな??
ウケねらってないよね??って空気感!

ドレミファソラシドの音はこれ!
って思ってたけどやっぱりちがうんか!?
多少音痴とは自覚してたけどそんなに!?って

正直あんまりもうどんな感情だったか覚えてない。
びっくりしちゃった。

恥ずかしかったと思うけど、
音がとれてなかったら笑われるんだな、と思った。

笑いをとれるのはある意味いいことなのか???
実は音がとれてたけどドッキリか????とか
考える余裕はあったし、

これ、音程とれるようになったら
伸びしろがすごくないか!?とか

わりとプラスに元気に考えてたと思う。

まあ、もちろん傷ついてはいたけれども。
あんなに笑われたことなかったもの…。

むしろ中学の時にカラオケとかど
ばかにされたこともなかったし
ともだちに恵まれてたんだな。。。と思った。

部活動なんて夢の通過点でしかないのに
落ち込んでもいられないってかんじ。

それからたくさん発生練習もしたし、
音程をとる練習もしたし、

部活とは別にボイトレにも通い始めた。

同期にお金も時間も無駄だといわれたけど、
ボイトレの先生はいつも根気強く教えてくれたし
それなりに褒めてもらえることもあった。

でも軽音楽部では上手く歌えなくて、
ほんとにいろんなことがあって
しまいには精神まで病んでしまった。

もちろん、楽しい思い出もあった。
むしろいい具合に全部バキバキに壊してもらった。

荒れてはいたけど
むしろいい歌詞かけるわ。と思ってた。

めちゃめちゃ言葉を書き残してたけど
わりといたいたしくて読んでられないレベル。

それでも根拠の無い自信だけが残ってたかんじ。
慢性的に不安定だったな、と今になって思う。

苦しいとこに飛び込んでいく癖がついた。

もちろん、3年間で
ギターも弾いたしベースも弾いた。
ベースにいちばんハマることになるんですけど。

パーカッションも、キーボードも弾いた。
やっぱり、ベースがいちばんってなるんですけど。

それでも歌もうたいつづけた。

発生練習していた、場所の一部が
苦情があって使えなくなったりとか

録音機器を繰り返し使いすぎて
壊しかけたりとか。

1ヶ月耳栓をして過ごしたこともあった。

歌のない音楽を聞いてみたり。。。

いろんなことを試した高校生活。

あと、高校1年生のときに
録音してきいた自分の歌に衝撃をうけたな。

自分の声が思ってるのと違いすぎて。

なんじゃこりゃ!!!!!????????
ってなってた。気持ち悪いとも思ったし。

自分の声が嫌いで嫌いで仕方なくなった。

まあ、それでもめげてはいられないので
自分の歌を録音して、携帯にいれて
登下校中ずっと聞いたりして慣れさせた。

もちろんノイローゼなりそうなくらい
自分の声とか、チューニングの音も聞いたけど

休憩がてら
いろーーーーーんな音楽もきいた。
自分の録音の歌を
聞かない時のストレスフリーったらすごい。

でも今や、それをしたおかげで
自分の曲も、歌も、声も超愛せる。愛しい。

マイナスも覆せしていこうぜ的なマインドと
いろんな行動を起こせるポテンシャルがあった。

通っていたボイトレは専門学校に通う段階で
辞めたけど、通ってよかったこともあった。

ボイトレの発表会があって、
そこでも打ちのめされて号泣しながら帰る。
みたいなこともあったけど。

高校の文化祭とか、茶話会とか。
ちゃんと楽しいライブも経験したので
音楽が嫌になることはまったくなかった。


そして高校三年生のおわりのほうで
ライブハウスにいきはじめる。

これもまた転機。
生のライブの素晴らしさにハマる。
これはまたの機会に。

とりあえず自分が思うよりも
自分って理想通りではないっていうのを
これでもかってくらい自覚した高校3年間。

もはや悟りをひらくレベルで
不安定ながらも元気に過ごした。

なんやかんやでね。良き友達もいたし。

あの頃バンドでカバーした曲は今でも歌っちゃう。

でも人前ではカバーとかはほぼしない。
カラオケもヒトカラしかいかなくなった。

ヒトカラだいすきなので
ほんとに仲良い人以外とまじでカラオケにいきたくない。

音楽活動はじめて、カバーをしてる人見ると
すげーーーーーって思うのはそんな経緯。

今でもやっぱり
カバーしてるひとはすごいなぁっておもうし
綺麗に昇華してるのみると天才。。ってなります。

それはさておき、なかなか歌手を目指すの厳しくない????っていう思い出が増えたにも関わらず

諦めず音楽の専門学校へ入学を決めます。

その専門学校では
ミュージシャン学科というものがあって
そこでも専攻がわけられていて。

その中からバンドボーカルコースを選んで
入学して、作曲も始めるわけです。

この時に打ち込みもはじめた。
これまた転機ですね。

この専門学校の2年間は
うたうたいとしては最高の2年間を過ごしました。

たくさん曲もつくった。
相変わらず音感はばぐっていたけど、
人並みくらいにはなりました。

ドレミファソラシドで笑われることは
一切なかったけど、明るい音楽をつくって
笑ってもらえるのはすごく楽しかった!!!

いろんなことがあったけど
音楽を通してあたし自身をみてくれる人の多さ。

ほんとに、音程だけを見る人なんかいなくて
自分がうたえる環境全てに、感謝はしてたけど
いろんな概念がこれまたバキバキに壊された。
あんどーまいか、ができたのもこのとき。

ガールズバンドも組んだけど、休止して。
ソロで音楽をはじめて。。。

今もひとりでライブをしている。

これはまたの機会に。

今もドレミファソラシドが
綺麗にいえるかはわかりませんが、
あの頃と同様自信満々にドレミファソラシドは
言えると思います。

楽しむのがいちばんだとおもってます。
もちろん人による。

好みによる。

うたいたいからうたう。
勝手なようで真理です。

構成要素なだけです。

うたがうまいにこしたことないけどね!

磨いていくにきまってるけどね!

がんばらない理由にはならないからね!

みんなとまた
うたえる日をたのしみにしている。

一緒に楽しい世界へ!


おわり。

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