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謎の第102号哨戒特務艇

戦後の掃海業務

 昭和20年、敗戦によって生き残った海軍艦艇は戦闘任務を解除されましたが、海外からの邦人引揚と沿海の掃海に引き続き従事することになりました。10月1日、こうした艦艇は海軍籍から除籍した上でそれぞれ特別輸送艦、掃海艦に指定することとされましたが、実際に指定がされたのは海軍省が廃止されてその事務が新設の第二復員省に引き継がれた12月1日が最初でした。

 第二次大戦中に日本が防御のために近海に敷設した機雷はおよそ5万発、さらに米軍が大戦末期に空中投下で敷設した機雷が数千発ありました。米軍が敷設した磁気機雷は当時の日本海軍には対処が難しく、内海航路は麻痺状態に陥ったといわれます。国民の食糧確保、産業の復興のためにも掃海作業は喫緊の課題でした。

 12月1日にまず掃海艦に指定されたのは元海防艦以下の中小艦艇117隻でした。鎮守府や警備府が改称した地方復員局に配分されましたが、その内訳は横須賀13、呉36、佐世保30、舞鶴8、大阪10、大湊20で、関門海峡を担当する呉に重点が置かれたことがわかります。その後、掃海艦への追加指定がされることもありましたが、一方で掃海艦としては不適当であることが判明したり、状態が悪く運用に耐えないと判断されたりして指定を解除されることもありその勢力は増減しましたが、戦時中に民間造船所を動員して量産した木製の漁船型駆潜特務艇や哨戒特務艇が主力になり、これらの一部は海上保安庁を経て海上自衛隊に引き継がれます。

第102号哨戒特務艇

 既述の通り昭和20年12月1日にはじめて掃海艦が指定されました。この日に制定された第二復員省内令第5号には指定された艦艇が列記されているのですが、呉地方復員局所管とされた36隻のなかに「元第102号哨戒特務艇」があります。

 「元第102号哨戒特務艇」は同日付の内令第7号でその所属を呉地方復員局掃海部呉支部とされ「掃海艦哨特第102号」と呼ばれることになりましたが、翌昭和21年3月25日に指定を解かれました。

 さて自分はこの「第102号哨戒特務艇」は「第1号型哨戒特務艇」の一隻と考えていたのですが、調べてみると同型に「第102号」は存在しないことがわかりました。少なくとも各種資料には見当たりません。ウィキペディアにも項目はありません。誤記かとも考えたのですが、所属指定や指定解除の内令にもはっきりと記載されており、法令上では矛盾はありません。色々調べてみたのですが結論を先に言うと正体はわかりませんでした。

第1号型哨戒特務艇

 太平洋戦争開戦前の昭和15年、新型の敷設艇と掃海特務艇が計画されました。いずれも特務艇に分類され、軍港や要港に配属されて港湾防御に従事することを主な目的とした小型艦艇です。これら艦艇の最大の特徴は漁船式の船体を採用したことでした。もともと戦時にはこうした港湾防御のためには漁船などを徴用して特設特務艇に編入して運用し、正規の艦艇の不足を補う計画でした。しかし無闇に徴用数を増やすと漁獲に影響して国民の栄養確保という点で問題があります。といって、専用の艦艇を建造するには海軍工廠や民間の軍艦造船所は戦闘艦艇の新規建造や改造作業で手一杯でした。

 そこでまだ余裕があるとみられた地方の民間造船所の建造能力を活用し、こうした造船所で作り慣れた漁船型の船体を建造させて完成後に海軍側で武装を施すという方式を採用することにしたのです。同様の方法は第一次大戦中にイギリスでも行なわれて効果がありました。敷設艇4隻、掃海特務艇22隻が太平洋戦争初期に相次いで完成し、番号を与えられてそれぞれ「第1号敷設艇」(昭和19年に敷設特務艇と改称)、「第1号掃海特務艇」などと呼ばれました。

 敷設艇と掃海特務艇で手応えを感じたのか、海軍では引き続き漁船型の駆潜特務艇の整備に乗り出しました。より積極的に潜水艦を攻撃することを想定した艦種ですが量産性がさらに重視され、船体の材質は木製となりました。まず100隻が計画され、昭和18年から19年初めにかけて続々と就役し「第1号〜第100号駆潜特務艇」と呼ばれました。さらに100隻が追加されてほぼ昭和19年いっぱいで「第151号〜第250号駆潜特務艇」が完成して最終的に200隻が就役しています。

 この第1号型駆潜特務艇は日本海軍にとってひとつの成功体験になりました。その頃問題になっていたのが特設監視艇の不足でした。昭和17年のドーリットル空襲を早期探知したことで知られる漁船徴用の特設監視艇ですが、その任務の特性上遠隔地での単独行動が多く、貧弱な武装もあってひとたび会敵すれば喪失は免れないと言う決死の任務で損失率は高く、その補充が問題になりました。そこで駆潜特務艇と同様の手法で哨戒特務艇が計画されました。船体は木製ですが外洋での単独行動を考慮してひと回り大きくなり、280隻の大量建造が計画されましたがすでに戦争も末期に近く、終戦までに30隻ほどが完成したのにとどまりました。

 この第1号型哨戒特務艇は280隻が一挙に計画されましたが、造船所への発注ごとに番号が割り振られたらしく、完成したものや未完成だったもの、計画だけに終わったものを通じて番号には抜けや飛びが多くなっています。例えば完成した艇の番号は順番に第1、2、3、25、26、31、37、54号などとなっており完成艇でもっとも大きい番号は第192号になります。そして建造中止になったものも含めて第102号は伝えられていません。

 海軍大臣による命名を規定した達号を全て参照できていない(画像形式なので検索できない)ので見落としている可能性はあります。また残存している達号には欠落があるようです。そういう意味で万全ではありませんが、国内外の資料を見る限りでは完成艇に第102号という番号は含まれていません。番号の誤記という可能性はありますが、もともと第1号型哨戒特務艇の経歴には不明な点が多く、突き合わせは困難です。なお内令の原文では番号は漢数字(第百二号)になっています。また哨戒特務艇には第1号型しか存在しません。

 余談ですが木製の駆潜特務艇や哨戒特務艇は船体が磁気を持たないため米軍が敷設した磁気機雷の掃海作業の主力になりました。既述の通り海上保安庁を経て海上自衛隊に引き継がれ、その後も海上自衛隊の掃海艇は木製船体が標準になりました。現在では新規建造はFRP船体に変わっていますが、木製船体艇もいまだに多く残っています。

第102号たち

 次に考えたのが、番号は同じ第102号でも他の艦種の間違いではないかということでした。そこで候補になったのが
第102号海防艦
第102号輸送艦
第102号哨戒艇
第102号掃海艇
第102号駆潜特務艇
第102号掃海特務艇
です。

 さて番号を与えられた海軍艦艇では、捕獲編入艦艇に100番台の番号を与える慣習になっていました。上記の「第102号たち」のうち海防艦と輸送艦を除くとすべて外国艦を捕獲して編入したものになります。第1号型駆潜特務艇の番号で第100号の次が第151号に飛んでいるのは、間に捕獲編入艇が挟まれていたからです。

 まず第102号海防艦についてみると、第102号哨戒特務艇と同日付で掃海艦に指定されて呉地方復員局所管とされており内令第5号に記載されています。記述の重複と考えられなくもないですがそれなら後で訂正すればいいだけでわざわざ指定解除の内令を出して辻褄を合わせる必要はありません。内令の誤記を訂正した事例は珍しくありません。
 第102号輸送艦はすでに昭和19年に戦没しています。また輸送艦が掃海艦に指定された例はありません。

 その他の第102号たちの多くは蘭印やフィリピンで捕獲され、現地で整備されてそのまま現地で運用された艦艇が多く、戦後は現地で連合国に接収されたものが大半です。そういう意味では内地の掃海に従事する掃海艦指定は考えづらいのですが、個別にみてみましょう。
 第102号駆潜特務艇は詳細は不明ですが昭和20年初頭に蘭印水域で戦没したと伝えられ、同年4月に除籍されています。
 第102号掃海特務艇は蘭印方面にあり特に掃海艦などに指定されることなく、昭和22年5月3日に海軍艦艇が全部除籍されたタイミングで除籍されました。戦後、現地でオランダに接収されたと伝わります。
 第102号掃海艇は内令第5号で大湊地方復員局所管の掃海艦として艇名が見えます。所管の地方復員局は本籍の鎮守府を基本的に引き継いでいるようです。第102号掃海艇の本籍は横須賀鎮守府ですが、横須賀鎮守府が所管する第一海軍区に属する大湊警備府に配属されたのを踏襲したのでしょう。わざわざ呉に転籍する必要性は薄く、無関係と考えられます。

 第102号哨戒艇は、スラバヤで放棄された米海軍の平甲板型駆逐艦スチュワートを再整備して運用した哨戒艇として知られています。本艇の本籍は呉鎮守府で、その点では少し疑わしく感じられます。いったん掃海艦に指定されたものの米国に返還されることとなり指定が解除されたと考えれば辻褄が合うようです。ところが時系列を詳細に追うと成り立たないことがわかります。第102号哨戒艇は昭和20年10月5日に帝国哨戒艇籍から除かれましたが、その直後の10月29日にDD-224としてアメリカ海軍艦艇としての再就役式が挙行されています。これは多分に形式的なものでアメリカ海軍には真面目に同艦を運用するつもりはなかったのですが、いずれにせよ12月1日にはすでに日本の手を離れており、こうした艦艇を掃海艦や特別輸送艦に指定した例はありません。
 なお哨戒艇を掃海艦に指定した例もないようです。

おわりに

 というわけで初めの方で述べた通り「元第102号哨戒特務艇」の正体は不明のままです。もやもやしますが今のところどうしようもありません。アジ歴の内令や達号、公報を丹念に読んでいけば何か手掛かりがあるかもしれませんが、そればかりにかかずらっているわけにも行きません。頭の片隅に留めておくことにします。

 ここしばらくネタに困っているのですが、もし機会がありましたらまた次回お会いしましょう。

(カバー画像は第173号哨戒特務艇)

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