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「副官」について

 海軍軍人伝を連載しているあいだにいろいろと調べなくちゃいけないことがありました。そのいくつかを紹介しようと思います。
 まずは「副官」。

副官とは

 副官という役職は現在の自衛隊にも残っているので、現役の自衛隊員や経験者の中にはお馴染みで説明不要というひともいるだろう。しかし外部では誤解されがちだ。もっとも多いのは「副司令官」との混同だろう。マンガ「ファントム無頼」に「副官」が登場するが、どうも「副司令」を副官と呼んでいるのではないかという漠然とした疑問が自分の中でずっと拭えずにいる。

 自分が「副官」を表すときにもっともよく使う説明が「秘書みたいなもの」である。実際、海軍省副官のひとりは海軍大臣秘書官を兼ねていた。副官を副司令官と混同するのは、「部長秘書」を「副部長」扱いするようなもので、もし後者のような間違いをすれば社会人として非常識の謗りを免れまい。

 副官は、海軍省や軍令部のほか、艦隊司令部や鎮守府に置かれた。その役割は例えば艦隊令には

副官は参謀長の命をうけ儀制、人事および庶務に関することをつかさどる

原文カタカナ。一部漢字を仮名に直した。

と規定されている。同じ幕僚である参謀が作戦に関わるのに対し副官は部内の事務に関わり、作戦には関与しない。具体的にはスケジュールの管理や書類の整理、受け取った手紙の仕訳や訪問者の対応、長官の身の回りの世話など、まさに秘書の仕事である。作戦や官庁での政策決定に直接携わるわけではないが、情報はすべて副官を経由して行き来するわけで、良いことも悪いことも副官には筒抜けになる。口が固くなければつとまらない一方で、部内の動きを知るには最適の位置にあり、出世の糸口になった。

 余談だが海軍には「副司令官」という役職は存在しない。参謀長はいるがあくまで参謀(スタッフ)であり司令官や司令長官の責任を分担する副司令官や副司令長官が置かれたことはない。これは陸軍も同じだが、戦後の陸上自衛隊や航空自衛隊には副司令官、副師団長、副司令などが存在する。しかし海上自衛隊では自分が知るかぎり実部隊でこうした副○○は相変わらず存在しない。陸空軍と海軍の考え方の違いだろうか。
 ただし艦艇には艦長の部下として副長が置かれている。

副官たち

 海軍省には少佐ないし大佐の副官が3名程度置かれた。最年少の副官は海軍大臣秘書官を兼ねた。大臣秘書官は各省の構成を包括的に規定した各省官制通則に根拠があり、海軍省のみならず大蔵省や文部省といった一般省庁にも存在した。副官は海軍省(および陸軍省)に特有の役職であり海軍省官制に根拠を持つ。最年長の先任副官は通常大佐があてられ、他省での官房長に相当する。

 軍令部にも複数の副官が置かれ、大佐の先任副官以下が当直をこなしたことは変わらない。役割も海軍省副官と基本的には変わらないが、部外との接触が海軍省ほど多くないこともあり、海軍省副官ほどは目立たなかった。

 艦隊司令部や鎮守府などの高等司令部にも副官が置かれた。戦隊司令部などには副官は「必要に応じて」置くとされて置かれない場合もあった。

 元帥や軍事参議官には副官を附属した。艦隊や鎮守府といった「定職」があればその職場の副官が秘書役をつとめてくれるが、こうした職場を持たないことが多い元帥や軍事参議官には秘書役をこなす副官が附属されたのである。こうした副官はほかの職を兼ねることもあった。
 なお皇族の海軍軍人には副官に似た御附武官がつけられた。これも兼職が多い。

 副官は参謀と同様に飾緒を着用することになっている。ただし参謀の飾緒が金色であるのに対し、副官は銀色と区別された。

副官まで

 副官と呼ばれるようになったのは日清戦争と日露戦争のあいだごろのことで、それ以前は伝令使と呼んでいた。情報や命令の伝達が人力に頼っていたことを反映した呼び名だろう。任務が広がったことを反映して名称が変更された。

 それより以前、明治10(1877)年前後に海軍省副官という役職が数年間存在した。海軍省の組織全体を三つに分けて、そのうちのひとつを海軍卿(のちの海軍大臣に相当)とともに統括するとしていた。海軍省を三分したので定員も三名となり、将官があてられた。のちの副官とはまったく異なるもので、海軍省の一部を任されるという意味では、冒頭で触れた「誤解されている用法」に近い。

おわりに

 必要に迫られて調べた内容ですが、忘れてしまわないためにも残しておきます。
 こうした内容を順次、不定期に残していこうと思いますが、すでに次のネタが思いつきません。思いついたら書くようにしますのであてにせずお待ちください。

 ではもし機会がありましたら次回お会いしましょう。

(カバー画像は飾緒のアップ。画像は参謀飾緒だが白黒で判別できない)

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