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60年代フランスのファッション・アイコン「ジェーン・バーキン」さん追悼

こんにちはRYUです。7月16日に、英国人(フランスに帰化)の女優/歌手であるジェーン・バーキンさんが、パリの自宅で亡くなりました。76歳でした。日本での知名度はさほど高くないですし、エルメスの「バーキン」はこの方が語源であることも、日本ではあまり知られていないと思うのですが・・・

ご存知バーキン。色も素材も多様です。こちらは特に高そうなオストリッチとクロコダイル。

私は若かりし頃、たまたま大学で仏文学を専攻していたので、当時から彼女と彼女の当時の夫(未入籍)、セルジュ・ゲンズブールの楽曲を聞いていました。そして大学を卒業した頃の1989年には、五反田の簡易保険ホールで行われた日本初公演を見に行った経験があります。

そんなご縁もあるので、今回は34年前に見たジェーンさんのライブを思い返しながら、個人的に追悼させてもらいたいと思います。

セルジュ・ゲンズブールの妻

英国で女優としてキャリアをスタートさせたジェーンさん、注目されるようになったのは、フランスに渡って前述のセルジュさんと2度めの結婚をしてからでした。「パリ・ジェンヌ」のイメージが強い方ですが、元々は英国人女性です。

20代のジェーンさん。美し♪

いっぽうセルジュさんは、フレンチ・ポップでヒットを連発した作詞・作曲家。自ら歌うこともありますし、俳優として映画にも出演する当時のマルチタレントです。中でも有名なのは、1969年に発表されたセルジュさんとジェーンさんのデュエット「ジュテーム・モワ・ノン・プリュ」。

この題名はフランス語の2つの文章が合体したもので、前半の「ジュテーム=愛してるわ!」と、後半の「モワ、ノンプリュ=僕はそれ程でも・・」に分かれています。男女のすれ違いと言うよりは・・・あまり男性の側が誠実でなさそうな、ちょっとデカダン(退廃的)な男女関係が示されています。

若かりし頃のジェーンさんとセルジュさん

ですが・・・セルジュさんが作った楽曲ってこんなのは序の口で、アイドル歌手(フランス・ギャル)に性行為を思わせる歌詞を歌わせたり、実の娘(シャルロット・ゲンズブール)と近親相姦を思わせるデュエットを発表したり、もうやりたい放題でした(汗)。

▼娘とのデュエット「レモン・インセスト」

セルジュさんが登場した頃のフランスは、インドシナやアルジェリアといった植民地の独立運動を弾圧する戦争が勃発し、若者が政府に大反発。既存の常識や権威が否定され、「自由」が志向されていました。

セルジュさんの楽曲は、そんな時代のニーズに後押しされた一面もあるのでしょうが・・・作品はともかくとして、当時の言動はパワハラとセクハラのオンパレード。me too 運動のフランス加害者トップ!と言っても過言ではない一面もありました。

こちらは米国のme too運動の元祖、ハーヴェイ・ワインスタイン。

そんなメチャクチャなセクハラもモラハラも許されてきたセルジュさんですが、「そんなのおかしいでしょ!」という視点で、セルジュさんの「不都合な真実」について鋭い分析をした方もいます。興味がある方は読んでみてください。

伝説のパリジェンヌ

さて前置きが長くなりましたが、こんなメチャクチャな人の伴侶を長年つとめていたのがジェーンさんです。年齢も20歳くらい違いますし、「どこが良かったの?」とも思えるのですが・・・良くも悪くも、セルジュさんがプロデュースした「フレンチ・ロリータ」というキャラクターでアイコンになったジェーンさん。切っても切れない関係でした。

妊娠8ヶ月!だった1971年の来日時もロリータ・ファッション。銀座松坂屋前ですね。

そして・・・ご自身も抜群のファッションセンスを備えていたジェーンさん、「フレンチ・ロリータ」を卒業した30代以降も、フレンチ・シックのスタイルを体現するファッション・リーダーとして活躍します。現在の視点で見ても素晴らしいので、興味がある方は以下のELLEのリンクもご覧ください。

独特の微妙?な歌声

次に、シンガーとしてのジェーンさんについては・・・独特のささやくような歌声が特徴的であったものの、「歌が上手い」わけではなかったです。唄った曲の多くが母国語(英語)ではなく、フランス語だったことも影響していると思います。

ご存じの方が多いと思いますが、フランス語と英語は発音も文法も大きく違います。「Hは読まない」「Rは鼻母音」「男性詞と女性詞がある」など例をあげるとキリが無いですが、ジェーンさんは最後まで「R」の発音ができなかったそうです。

むしろ「英語訛りが愛された」部分もあり、現パリ市長のイダルゴ氏は、「彼女の歌、笑い声、そして比類なきアクセントを決して忘れることはない」と、彼女が話すフランス語を賞賛する追悼を寄せました。

バーキンバッグの生みの親

そして冒頭でも述べた通り、ジェーンさんは「エルメスのバーキン」の生みの親です。まずは、若かりし頃のジェーンさんのバッグの使い方を見てみましょう。

バッグじゃなくカゴ(汗)。

・・・雑ですね(笑)。バッグではなく、ヨーロッパの農村で使われているようなカゴです。ジェーンさんだからサマになるものの、籐編みのカゴは嵩張るし、小さなものは隙間から落ちるでしょうし、雨が降ったら中も濡れるし、何をするにも不便です。なんとジェーンさん、飛行機にもこのカゴで搭乗していたようで、頭上の荷物入れにカゴを収めようとして、誤って荷物を散乱させてしまったとか・・・。

ここに籐編みのカゴを入れようとして・・・(資料画像)

この時、たまたま隣に座っていたのが、当時エルメスの社長だったジャン・ルイ・デュマさん。このデュマさんが惨状を見かねて?ジェーンさんのために「バーキン」を開発したそうです。ジェーンさんのタフな使い方に合わせて、大容量のバッグを作ったんでしょうけど・・・。

バーキンのバーキン!

ご覧の通り、ジェーンさんが使うと大容量であるはずのバーキンから荷物が溢れています(汗)。このスタイルは生涯変わらなかったようで・・・

荷物多すぎでしょ(汗)。

晩年もこの通り(笑)。バッグも型崩れしてますが、まあこんなところもジェーンさんらしい「可愛らしさ」に繋がっているんでしょうね。しかし素敵な笑顔だなあ。

余談ですが、「バーキン」の発売当初の価格は2,000ドル。1990年代には5倍以上の11,900ドル(しかも最安モデルが)・・・になっていました。そして人気はエスカレートし、2000年代には6年待ち!現在は受注停止!。今や上顧客でも新規購入が難しいようです。鮮やかな色が人気で、ピンクやパープルが最高値。「億」の値がつくものもあるそうですが、もはやファッションというより投機対象ですね。

黒・茶より、鮮やかな色がより高価!だそうです。

私生活も波乱万丈

ファッションモデルや歌手として活躍したジェーンさん、私生活では3人の夫との間に1人ずつ、3人の娘を設けました。この3人を一手に育てたジェーンさん。異父姉妹を育てるのは大変だっただろうと思うのですが・・・幸い母を中心に3姉妹は仲が良く、結束が強かったことで知られています。
「長女ケイト」はカメラマン、「次女シャルロット」と「三女ルー」は女優として成功したのですが、長女のケイトさんは2013年、中庭に転落して46歳で亡くなってしまいました。自死だったのか?は分かっていません。

母としての姿も素敵です♪ ちなみに真ん中がケイトさん、抱かれているのがシャルロットさん。

遺作は娘との共演

では今回の追悼の最後に、ジェーンさんの遺作をご紹介します。ジェーンさんの逝去にタイミングを合わせたかのように、2023年8月4日から映画「ジェーンとシャルロット」が日本で公開されます。次女であるシャルロットさんが初めて映画監督を務めた作品で、長年にわたる複雑な母娘の関係を描いたドキュメンタリーです。自分の人生を、娘が映画にしてくれるなんて!
人知れぬご苦労もあったでしょうが、幸せな人生であったと思います。

8月4日公開予定の遺作。「ジョー・アタル」はシャルロットの息子です。

以上、個人的な追悼を書き連ねましたが如何でしたか?若かりし頃の私をフランス文化に誘って(いざなって)くれたジェーンさん、60年代のファッション・アイコンとして輝き、年齢を重ねてからも可憐な可愛らしさを持ち続けた素敵な女性でした。日本の若い世代の方にも、もっと彼女を知ってもらえたら!と思います。 (RYU)