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個性的な3つの神社で初詣しました(1.治水神社)

こんにちはRYUです。皆さん初詣には行かれましたか?私は3箇所の神社に行ってきたのですが、いずれもかなり個性的な神社でした。そんな3つの神社での初詣を3回シリーズでご報告したいと思います。初回は岐阜県海津町にある「治水神社」です。

災害から生まれた神社

ますは「治水神社」の位置はこちら。国内有数の大河川である木曽川・長良川・揖斐川が交差する位置にあり、ここは昔から水害の多い地域でした。この神社は、そんな「水害」が契機となって生まれた・・・という珍しい神社なんです。

愛知・岐阜・三重の3つの県境にあります

江戸時代の宝暦年間、水害が続くこの地域の治水工事を、幕府が薩摩藩に命じました。「岐阜県の工事なのに、なぜ薩摩藩(鹿児島)?」と思ってしまいますが、理由は簡単。幕府を脅かす財力を持つ薩摩藩を消耗させる必要があったからです。

重機がない時代、人力だけに頼った治水工事は15ヶ月にわたって難航。事故や病気、自害で亡くなった薩摩藩士は84名に登りました。歴史的経緯については諸説あり、幕府による妨害があったという通説もあります。この時、亡くなった薩摩藩士を供養するために出来たのがこちらの「治水神社」なんです。

そんな薩摩藩の神社を、名古屋市在住の私がなぜ参拝するのか?というと・・・ウチの奥さんの両親が鹿児島の出身で、ご縁があったから。東京→名古屋に転居してから、3年ほど続けて参拝しています。

ここだけ鹿児島

さて、治水神社は木曽三川公園に隣接しているのですが、樹木に囲まれた、目立たない一角にあります。神社の看板も、注意しないと見落とすレベルです。

樹木の背後に神社があります

こちらが神社の正面。丸に十字の島津家/薩摩藩の家紋が見えます。周囲の中でここだけ、凛とした鹿児島の空気が流れている気がします。
隣の家紋(丸に横2本&縦1本)は何でしょうね?ご存知の方がいたら教えてください。

こちらが神社正面

境内には、当時の作業風景を伝える銅像もあります。ブルドーザーもクレーンも無い時代ですから、当然全部が手作業だったわけですね。

こちらが義没者84名の碑。故郷から遠く離れたこの地に送り出され、生きて帰ることがなかった方々の氏名が記されています。私は愛知県出身なので、こちらに参詣する時は地元代表の一人として?普請に参加した方々へ感謝を伝えています。

こちらは境内にある年表。俯瞰して見ると、薩摩藩以外の藩も普請に参加していたことがわかります。また、町方請負(有力な商人による普請)も認められていたようです。

こちらは境内から見た長良川方面。治水工事の時代にも、護岸されていないこんな風景が拡がっていたんでしょうね。

帰りに御札とお守りを購入しました。受験や仕事で「困難に打ち勝つ」ご利益があるそうです。

周辺は木曽三川公園

さて、この神社の周辺は「木曽三川公園」として開発されています。愛知県方面からは、こちらの立田大橋を渡って週末には多くの観光客が訪れます。

木曽川をわたる立田大橋

高さ138mの展望台もあり、天気が良い日には周囲を見渡すことができます。今回は冬ということもあり登らなかったですが・・・

2年前には登った記録があるので、興味がある方はこちらもご覧ください。やはり夏のほうが眺望が良いかなと思います。

そんなわけで、今回は3連続初詣の初回「治水神社」についてご報告しました。この治水事業は当時、薩摩藩内で秘密とされていた(あるいは幕府側が秘密にするよう命じた)ため記録が少なく、明治維新に至るまで鹿児島県内でさえ、あまり知られていなかったようです。

はるか280年前に遠く離れた鹿児島から派遣され、この地で治水工事に従事してくださった薩摩藩士の方々がいたことを、もっと多くの方に知って頂けたらと思います。 (RYU)