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愛知の難読地名 その1「二女子」「四女子」「五女子」

こんにちはRYUです。私は以前、兵庫県の「夙川」近辺で仕事する機会があったのですが、どう読むか?わからず、検索するにも困った記憶があります。「しゅくがわ」が正解ですが、関西出身の方じゃないと読めませんよね(汗)。

こうした「難読地名」はどの地域にもあると思うのですが、もちろんアドパブリシティの所在地である愛知県にも多くあります。今回は地元の難読地名の中から、「二女子」「四女子」「五女子」を紹介したいと思います。

まずはマップで確認

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この地名は、名古屋市の西側にある「中川区」に集中しています。位置関係を見ても、必ずしも昇順になっていないのが分かると思います。

まずは二女子

五女子2

では昇順で見てみましょう。「二女子」は「ににょうし」と読みます。(ローマ字表記はNinyoshi)通常「女子」は「じょし」と読み、「にょし」とは読みませんよね。「にょし」は「漢音」が日本に入る以前に中国南部から伝わった「呉音」による旧い読み方だそうです。「老若男女」(ろうにゃくなんにょ)も同様に呉音読みなんだとか。また、「二女子町」の表記では「ににょしちょう」と読み、「う」が音便化されて消えます。ややこしいです。

次に四女子

五女子3

次は「四女子」(しにょうし)です。こちらもローマ字表記は「Shinyoshi」で、「四女子町」の場合の読みは「しにょしちょう」です。

最後に五女子

五女子1

最後は「五女子」(ごにょうし)です。こちらもローマ字表記では「Gonyoshi」、「五女子町」と表記する場合は「ごにょしちょう」です。

この地名の由来

変わった地名なので由来を調べてみたら?ロマンチックな逸話が伝わっていました。「なかがわ風土記」によると、その昔「片端」(現在の名古屋市東区)の里に尾張の大領主がいて、この領主には七人の美しい娘がいました。領主はその七人の娘の嫁ぎ先に土地を分与し、長女から七女までそれぞれ嫁いだ先に「一女子町」~「七女子町」の地名を残したのだそうです。

ただし、1816年に刊行された地誌の研究書「尾張地名考」にも、「一女子」「三女子」「六女子」「七女子」の地名は残っていません。この逸話がどこまで本当か?は、分かりませんが、あえて順を飛ばして地名を定めるケースは考えにくいので、「一女子」「三女子」は途中で消滅したのではないかと推測します。

ちなみに岩手から青森にかけては「一戸」から始まって「七戸・八戸・九戸」まで続く地名が残っていますね。こちらは「四戸」だけが欠番です。

いかがでしたか?地元の難読地名はまだまだ沢山あるので、次回また調べて紹介したいと思います。ではまた次回! (RYU)