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決して動かない、悟りを開いた二匹の鯉の話

今回のコラムは、昨日書くつもりだったのに書けなかった、大分の初日に訪れた、羅漢寺でのこと。

羅漢寺。幻想的というのもなんだか陳腐。神秘的というのも言葉が足りない。自分の稚拙な語彙力で表現するのもためらうくらいに、そこには昔からの神様が間違いなく宿っているであろう、張り詰めた空気感が漂っていた。

結局ここに一番合ってる言葉は、、

ジブリの世界に入り込んでしまった感じ

っていうしかない自分の語彙力のなさに、軽く絶望しながら書き始めます。

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羅漢寺、山門から先は撮影禁止だったので、厳格で厳粛、で神秘的な風景の模様は、下記のリンク等からお楽しみ下さい。

まず、麓にある入口に着いたら、いきなり見える急勾配なリフト。しかも安全バーとか全くなく、完全一人乗り、誰も来ないさびれたスキー場のリフトみたいなものがすっげぇ上まで続いている。

入口にもリフト乗り場にも、値段が書いてない。
徒歩で登るのか、リフトで甘えるか。冷やかしや観光気分ではなく、そして金の問題ではなくお前本当に信心でお参りする気があるのかと、ここでさっそく試されていたのかもしれない。

まぁでも10~15分なら、と徒歩で登る。

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山門に辿り着く。ここから先は撮影禁止らしい。案内には、こう書かれていた。

山門に入れば、参拝者も修行僧と同じ立場です。
観光に来られた方も、境内では静かに手を合わせてお参り下さい。
境内での写真撮影はご遠慮下さい。
羅漢寺を自分自身の五感で感じて、心に残していただきたいと思います。

山門に入る前、外から覗いて見える感じが既にジブリ。妖怪の皆さんがふわふわと漂っていそうで、早くもぞわぞわする妖艶な雰囲気もあった。

急な石段がずっと続き、ようやく本堂に辿り着く。
眺めも最高、壮大な岩壁、厳粛で神秘的な、全ての佇まい。

写真を撮ろうと構えたら、作務衣を着たおじ様がすっ飛んできて
「お写真はやめてください⋯」と言いに来た。

おじさんは、見えないところから秒の速さで飛んできた。
何でバレたのか。
と思ったら、モニターカメラがバッチリ配備されていて、本堂の受付のところで高画質なモニタリング監視されていた。おそるべし羅漢寺。

耶馬溪という地名からもあるように、邪馬台国とも何か関連があるのだろうか。その辺は全く知識がないけれど、九州という場所柄もあって、やはり大陸からの影響もあるのかな。建物を見ると、そんな感じも少し見受けられた。

なんて思って説明を見てみたら、ここ羅漢寺は645年、インドから渡来してきたお坊さんがここの霊峰に感動して棲みついたところから、その歴史が始まったとされているんですね。あの時代、インドから船で来るだけでも命がけだっただろうに。昔の人の信仰心やエネルギーはすごいわ。645年といったら、大化の改新の時じゃんか。

そそり立つ岸壁の下には、水子供養の場所もあり、中には沢山の石仏が祀られていた。そこにはまず、こう書かれていた。

「思いを馳せてあげることだけでも供養になります。心の中で、手を合わせてください」

そして実際に供養に来られた方が残していった、しゃもじに書かれたメッセージがいくつか。

おそらく実際に流産されたり、どうしても中絶せざるを得なかったお母さんが、ここまで何年も繰り返し供養に来られているのだろう。

「生んであげられなくてごめんなさい」
「あなたに会いたかった」
「いつかもう一度、あなたを授かりたい」

など、見ていて辛いものばかり。中には、70歳の方からのものもあった。きっと何十年も前から、毎年ずっと供養に来られているのだろう。

しゃもじに書かれたメッセージと書いたが、メッセージというよりは、会えなかった子どもへの贖罪の手紙のようなものばかり。読んでいてとても辛く、切なくなるものばかりだった。胸が締めつけられて、ここは本当に辛かった。実家の母のことを、少し思い出したり。

最後に
本堂のそばにある池に、体調60㎝以上ありそうな鯉が二匹いた。

この二匹が、全く動かない。1ミリたりとも、微動だにしない。

AIか、3Dか、はたまたプロジェクションマッピングか⋯!と思うほどに、彼ら二匹は全く動かない。本当に、ピクリとも動かない。

動画を撮れなかったのが心残り。隠れて撮ろうもんなら羅漢寺に棲む神様か妖怪に呪われそうだし、隠れてどこかに棲んでいるあのインド人の子孫に拐われてしまいそうだ。それに呪われたり拐われるより前に、まずは秒の速さであのおじさんがワープして来る。

この二匹、きっと昔からこの池に棲んでいるのだろう。
「住んで」ではなく「棲んで」とどうしても書きたくなるのはこの羅漢寺が放っていた独特の雰囲気からだということをぜひ理解してほしいのだけれど、この二匹の鯉は、まさに棲んでいた。

で、ここにずっと棲んでいるうちに、きっと悟ったのだと思う。

餌には困らない。外敵もいない。それならばもう、泳ぎ回る必要もない。
無駄に動いて体力を消耗するのは悪手だ。
動くのは、とうの昔にやめた。もう、動く必要すらない。
きっと、神様に守られている。

決して動かないあの二匹は確かに、そう悟っているように見えた。

慌てて動いて、墓穴を掘る。
無駄に動いて、大事なものを見失う。

僕ら人間はいつもそうだ。わかっているのに、何度も繰り返す。

無駄に動くな。愚かな人間どもよ

池の中から、そう見透かされているようにも感じられた。

羅漢寺。数ヶ月後にもう一度、ひとりで訪れるかもしれない。
必ず、もう一度行くことになる。なぜかそんな気がしてます。

あの見張りおじさんとの勝負を、もう一度してみたい(違う)

帰り。
さすがに疲れたからリフトで帰りますかー、と乗り場に行ったら、下りだけで600円だった。
おい高いな!じゃ歩いて帰ろう、ということになったのだが、後から調べたら、往復料金ならば行き帰り700円で乗れたらしい。
人間の浅はかさを、見透かされているようだった。

羅漢寺、やっぱりおそるべし。

※ トップ画像は、ネットから拝借しました。決して盗撮はしてません(無理)

note、毎日更新しています。アーカイブは こちら から。


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