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Vol.5「フランス貴族と白人特権(後編)」補足その2

「さよならパリジェンヌ」のVol.5「フランス貴族と白人特権(後編)」で取り上げた、通称「ドヌーヴ書簡」に対する反論記事です

翻訳はフランス文学・思想、フェミニズムの研究者、中村彩さんにお願いしました

(以下全訳)

「豚どもとその仲間たちが心配するのは当たり前」:カロリーヌ・ド・アースとフェミニスト活動家ら、『ル・モンド 』紙に発表された寄稿記事に反論

「#BalanceTonPorc」と「#MeToo」の運動を経てもなお、男性が「しつこく言い寄る自由」を擁護する100人の女性たちの文章の議論に対し、1月10日水曜日、ラジオ局フランスアンフォ(franceinfo)で約30人著名人や女性団体のメンバーが反論した。

見過ごすことのできない文章である。1月9日火曜日、100人の女性が『ル・モンド』紙に発表された寄稿記事に署名した。そこで彼女らは「しつこく言い寄る自由」を擁護し、ワインスタイン事件の勢いに乗って起きたセクハラの告発を、訴えられた男性たちを標的とした「密告キャンペーン」であると述べた。その文章は幾人かの有名な作家が書いたもので、起草者の中にはカトリーヌ・ミエやカトリーヌ・ロブ=グリエもいるし、署名者には俳優のカトリーヌ・ドヌーヴやジャーナリストのエリザベト・レヴィといった著名人もいる。そこではとりわけ、「個人に対する公の場での密告と糾弾のキャンペーン」において、そうした個人が「性的暴行をはたらいた人と全く同じ次元におかれ」てしまう状況を前にして、ナンパする人の「しつこく言い寄る自由」が擁護されている。

この寄稿記事にフェミニストの活動家カロリーヌ・ド・アースが応じて書いた記事は、約30人のフェミニスト活動家によって連署されることとなった。ド・アースが「#MeTooはよかった、でも…」と呼ぶ事象を告発するためである。

(以下寄稿記事)

女性の権利が向上するたびに、意識が高まるたびに、抵抗が生まれます。その抵抗は一般に「たしかにそうだけど、でも…」という形式をとるものです。去る1月9日、私たちは「#MeTooはよかった、でも…」と言われるに至りました。使われた議論はあまり新しいものではありません。それらの議論は『ル・モンド』紙で発表された文章中に散見されますが、職場のコーヒーマシンの周りで、あるいは家族との食事でも同じようによく見かけるものです。あの寄稿記事は、何が起きているのかをわかっていない、困った同僚や厄介な親戚のおじさんのようなものなのです。

「行き過ぎになるおそれがある」平等が進むと、たとえそれが0.5ミリしか進まなかったとしても、親切な人たちがすぐに、過剰になるおそれがある、と警告してきます。そう、すでに私たちは過剰さの真っただ中にいます。私たちが生きているこの世界の過剰さです。フランスでは毎日、何十万人もの女性たちがハラスメントの被害にあっています。何万人もの女性たちが性的暴行にあっています。そして何百人もが強姦されています。毎日です。このことこそが滑稽なのです。

「もう何も言うことができなくなってしまう」人種差別や同性愛嫌悪の発言と同様に性差別的な発言が――以前に比べて少しだけ――私たちの社会で許容されなくなったことが、まるで問題であるかのようです。「チッ、正直、女をおとなしいアバズレとして扱えた時代の方がよかったな、そうだろ?」違います。よくなかったです。言葉は人間のふるまいに影響を及ぼします。女性に対する侮辱を容認することは、暴力を許容することなのです。言葉をコントロールできるようになるということは、私たちの社会が進歩していることの印なのです。

「それは厳格すぎる」フェミニストたちは恋愛に奥手だ、さらには性的に欲求不満なのだとすら思わせるこの寄稿記事ですが、そう述べる署名者たちの独創性たるや…これには狼狽するしかありません。暴力は女性たちに重くのしかかっています。すべての女性たちに、です。それは私たちの心に、体に、快楽に、セクシュアリティにのしかかっています。女性のうちふたりにひとりが性暴力の被害にあった経験があると言っているのに、女性が自らの身体とセクシュアリティを自由に、十全に思いのままにすることのできるような開かれた社会を、たとえ一瞬でも想像できるでしょうか。

「もう口説くこともできない」この寄稿記事の署名者たちは、尊重と快楽にもとづいた誘惑の関係と、暴力とをわざと混同しています。すべてを混ぜてしまうのは簡単です。十把一絡げにしてしまえるのですから。結局のところ、ハラスメントや攻撃が「しつこいナンパ」であるとすれば、それはさほど深刻な問題ではない、というわけです。署名者たちは間違っています。口説きとハラスメントは、程度が異なるのではなく、性質が異なるのです。暴力は「誘惑がエスカレートしたもの」ではありません。誘惑とは、他者を自分と対等と認め、相手の望みはどんなことでも尊重します。暴力とは、他者を意のままにできる物のように見なし、相手の望みや合意を無視します。

「責任は女性にある」寄稿記事の署名者たちは、女の子たちが脅されるがままになることのないようにするための、女の子への教育について言及しています。つまり襲われないようにする責任は女性にあるということです。男性側が強姦したり襲ったりしない責任は、いつになったら問われるようになるのでしょうか。男の子の教育はどうなっているのでしょうか。

女性も人間です。他の人間と同じように。私たちには尊重される権利があります。侮辱されない、野次られない、襲われない、強姦されない、という基本的な権利があります。安全に生活するという基本的な権利があります。それがフランスであろうと、アメリカであろうと、セネガル、タイ、ブラジルであろうと、です。今日、それは守られていません。どこに行っても守られていません。

『ル・モンド』の寄稿記事の署名者たちの大部分は、小児性愛を擁護したり強姦を称賛したりする常習犯です。彼女たちはまたしても、性暴力をありふれたものにするために自らのメディアでの知名度を利用しています。実質的には彼女たちは、こうした暴力を被っている、あるいは過去に被っていた何百万人もの女性たちを軽視しています。

彼女たちの多くはしばしば、庶民的な地区の男性たちから性差別が出てきたときにはすぐに非難するのです。しかし彼女たちの階層(注)の男性たちが同じように手をお尻にあてるのは、「しつこく言い寄る権利」に当たる、というのです。このダブルスタンダードを考えれば、彼女たちが主張するフェミニズムへのこだわりというのがいかほどのものなのか、見極めることができるでしょう。

この文章によって彼女たちは、私たちが取り外そうとしている重い覆いを再びかぶせようとしています。それはできないでしょう。私たちは暴力の被害者です。私たちは恥ずかしくありません。私たちは立ち上がっています。強く、熱く、断固として。私たちは性暴力を終わりにするのです。

豚どもとその仲間たちが心配しているんですか? そうでしょうね。彼らの古い世界が消えようとしているのですから。とてもゆっくりと――ゆっくりすぎではあるけれど――、しかし容赦なく。いくつかの古びた思い出が表に出てきたからといって、その変化は止められません。たとえそれが『ル・モンド』に発表されたものだとしても。

注:『ル・モンド』紙の寄稿記事の署名者の肩書きをみればわかるように、彼女たちの多くは高い社会的地位にある。

署名者リスト

アダマ・バー、アフロフェミニストで反人種主義の活動家
マリー=ノエル・バ、団体「シエンヌ・ド・ギャルド(ウォッチドッグ)」会長
ローラン・バスティッド、ジャーナリスト
ファティマ・ベノマール、団体「エフロンテ」共同代表
アナイス・ブールデ、サイト「ペイ・タ・シュネック」(※2012年にできた、街でのハラスメント被害にあった女性の証言を集めるためのサイト)創設者、フェミニスト活動家
ソフィー・ビュッソン、フェミニスト活動家
マリー・セルヴェッティ、団体「FIT」会長、フェミニスト活動家
ポーリーヌ・シャベール、フェミニスト活動家
マドリーヌ・ダ・シルヴァ、フェミニスト活動家
カロリーヌ・ド・アース、フェミニスト活動家
バスマ・ファドルーン、フェミニスト活動家
ジュリア・フォイス、ジャーナリスト
クララ・ゴンザレス、フェミニスト活動家
レイラ・H、元「あなたの特権をチェックしよう」サイト作成者
クレマンス・ヘルフテール、フェミニスト・労働組合活動家
キャロル・アンリオン、フェミニスト活動家
アンヌ=シャルロット・ジェルティ、フェミニスト活動家
アンドレア・ルカ、フェミニスト活動家
クレール・リュドヴィグ、フェミニストの広報・活動家
メリル、イラストレーター、フェミニスト活動家
クロエ・マルティ、ソーシャルワーカー、フェミニスト
アンジェラ・ミュレール、フェミニスト活動家
セルマ・ミュゼ・ヘルストローム、フェミニスト活動家
ミシェル・パック、フェミニスト活動家
ンデラ・パイ、アフロフェミニストで反人種主義の活動家
クロエ ポンス=ヴォワロン、フェミニスト活動家、演出家、映画監督、俳優
クレール・プルサン、団体「エフロンテ」共同会長
ソフィー・ランベール、フェミニスト活動家
ノエミ・ルナール、サイトantisexisme.net管理人、フェミニスト活動家
ローズ・ド・サン=ジャン、フェミニスト活動家
ロール・サルモナ、団体「サイバーハラスメントに反対するフェミニスト」共同創設者、フェミニスト活動家
ミュリエル・サルモナ、精神分析家、団体「トラウマ的記憶と犯罪被害者学」会長、フェミニスト活動家
ニコル・ステファン、フェミニスト活動家
メラニー・シュアス、フェミニスト活動家
モニク・トロ―、フェミニスト活動家
クレマンティーヌ・ヴァーニュ、フェミニスト活動家
団体「みんなで前へ」
団体「ストップ、街でのハラスメント」

(訳ここまで)

日本でも、性差別や性暴力を告発した女性に対し、女性によるセカンド・レイプがままあります。コラムでは「豚から目線を内面化した旧パリジェンヌ」としましたが、彼女たちもまた、「豚から目線」の被害者なのです。

私にも「この豚(ども)を加害者認定したら、私自身の給料・その他待遇に関わるので、自分に実害がない限りはスルー!」とした経験が(何度も)あるので、我らの弱きを知りて憐んでジーザス!(©︎讃美歌312番)という思いでいっぱいです。

属性が権力格差となり、暴力という悲劇が起こる前に。性差別やその他あらゆる差別に対し、誰もがカジュアルに「それ、あかんやつですよ〜」と指摘できて「あ、そうかそうか。ごめんやで!」とさっぱり謝れる世の中になれるよう、豚小屋をガンガン壊してくれる勇気ある告発者たちに感謝こそすれ足を引っ張るようなことはやめようね! みんなで人間になろう!! という願いを込めて、コラムを書いているつもりです。

引き続き「さよならパリジェンヌ」をよろしくお願いします!

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