『いのちの停車場』

南杏子さんの作品。
吉永小百合さん主演で映画化されている。
主人公の咲和子は大学病院に勤めていたが、実家のある金沢で訪問診療医になる。

この本を読むと、安楽死について考えざるを得ない。患者が苦しんでいる中、家族は本人を楽にさせてあげたいと思うのは自然なことだ。日本でも安楽死についての議論を進めていかなければならないときが来るのではないだろうか。

膵臓がんを患い帰郷した官僚の話と、咲和子と実父の話がとても印象に残っている。

印象に残っている文

金沢には「嫁に行ったらすいの目くぐれ」という戒めの言葉がある。馬の尾毛を細かく織った裏ごしの道具である水嚢をくぐるがごとく、嫁は辛抱して気を遣えーーという意味だ。

「物を食べる生き物だけが生きる。食べる行為は、命を長らえる行為なのです。それが自然の姿です」

医学の分野では、内容が網羅的かつ標準的なテキストや権威が認められた大著のことを成書と呼ぶ。

自宅での溺死者は年間約五千人、溺死以外の死因も含めると二万人近くが風呂場で命を落としている。これは実に、交通事故死の約六倍に相当する。

「先生、私の方が先に参ってしまいそうです」

病院へ行かなくていいということは、「効く抗癌剤がなくなった」という意味だ。

「第一に慰められるべき存在は、家族だよ。患者を本当に慰めることができるのは家族だからね」

仙川先生「花の中には、日差しに弱い種類がある。ラベンダーやフクシア、能登半島のキリシマツツジなんかがそうだ。ところが松は、周囲に絶妙な日陰を作ってくれる。だから松の木の下にそうした日差しに弱い花を植えると、きれいな花を咲かせることができる。庇護を求めるか弱き存在の者のために、自ら日陰を作って立つーーそれが医療者というものだ」


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