『君に光射す』

小野寺史宜さんの作品。
施設の警備員として働く圭斗。彼は小学校の教員として働いていたが、あることをきっかけに教員を退職したのである。

警備員としての視点が書かれていてとても興味深かった。

圭斗は学年主任や教頭先生に相談しておけばよかったと思うが、圭斗の人柄からするとそのような行動をとった気持ちも理解できた。

圭斗は看護師の果子のような人と出会えて本当に良かったと思う。

夜勤明けの圭斗の語り口が印象に残っている。


印象に残っている文

自分が臭い、というのは強烈だ。これはもう理屈ではない。人は臭い人を好きになれない。自分が臭いなら、その自分を好きではいられなくなる。自尊心を持てなくなる。他人に指摘されても、否定のしようがない。自分で臭いと思っているのに臭くないとは言えない。受け入れるしかない。

立哨。警備に含まれる業務だ。門番のようにじっと立っているあれ。地味にきつい仕事だ。普通は三十分から一時間で交代するが、三十分でも長い。何せ、動けない。立つ姿勢まで決められているのだ。

家、ついて行ってイイですか? と言われ、いいですよ、とすんなり言える人の軽やかさには憧れる。僕ならまちがいなく、あっさり断ってしまうから。

大変は大変だが、子どもたちと外を歩くのは楽しい。大変な分楽しい、と言えるかもしれない。子どもたちが笑っているのはいい。笑顔にうそがないのは本当にいい。

説明は聞き流しておいて、いざ何かあったら聞いてないと言いだす人。児童の保護者のなかにもそんな人はいる。そうならないよう事前に何度も通知したりはするのだが、聞いてない、の一言で、そんなものはすべてなかったことになる。

子どもはこれができるからすごいな、とあらためて思う。大人になると、もうできない。知らない相手に理由もなく自分から声をかけることはできない。

「教師になってから、思ったんだよね。教師になる資格がある人なんているのかなって。教師だってさ、厳密なことを言えば、普段の生活のなかではよくないこともしちゃってるわけじゃない」

一年一年で重みがちがうのはやはり二十代までなのだ。二十一歳と二十二歳はちがったが、三十一歳と三十二歳はちがわない。ただ一年が過ぎただけ。そしてその一年は早い。

「だからさ、今度こそ、昼にどこか行こうよ。美術館でも博物館でも水族館でも動物園でもいい。新宿でも渋谷でも銀座でも浅草でもいい。夜勤がある者同士、明るい表通りを、腕を組んで歩いてやろうよ」

人には光があり、陰もある。どちらも同じ人のなかにある。それは変えられない。せめて光に優勢を保たせる努力ぐらいは、するべきかもしれない。動けば光も射す。


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