『それ自体が奇跡』


小野寺史宜さんの作品。

貢と綾は同じデパートで働く夫婦である。ある日、貢がJリーグ昇格を目指すサッカーチームでプレーすることを綾に相談せずに決めてしまう。そのことをきっかけに、少しずつ2人の間に溝が生まれる。

リーグ戦を戦う社会人チームの話がとても面白かった。春菜と貢が結婚していたらどうなっていたのだろうか。綾と亮介が男女の関係になっていたらどうなっていたのだろうか。世の中の結婚している人は、本当にすごいと思う。何気なく見過ごしてしまいそうになるが、「それ自体が奇跡」だ。相手に対して言いづらいことも言っておくことが大事だとわかった。

印象に残っている文

「いつもながら、男の人の締めっていう発想はよくわからない」と春菜は笑う。「何を締めてるのか、何で締める必要があるのか。ほんと、わからない」

周りには多くの人々がいる。立場がちがう人もいるし、考え方がちがう人もいる。折り合いがよくない人は、どうしても出てくる。でもあいさつさえしておけば、どうにかなる。相手が返さなくても、自分からする。しつづける。もめる気はないのですよ、とそれだけは示す。

何故って、きれいにすることではなく、終わらせること自体が目的の、男の掃除だから。肝心の汚い箇所には手をつけない。窓の桟とか家具の隙間とか、そういうところには意識が向かない。目に見えるところ、すでにきれいなところを、なぞる。やったとの満足感を得るためだけの無駄な作業。

そのあたり、女性はシビアだ。現実を見る。先も見るが、先は現実から推測する。対して男は、まず先を見る。先に、現実を合わせようとする。

「結婚して、やめて、金とられる。すごいシステムだよな。しかたないけど」

「結婚は、それ自体が奇跡だと思います。人が人を認める。紙切れ一枚で、あなたのことがほかの誰よりも好きだと公的に表明する。表明してもらえる。それは、人として大きな自信になります」

負の感情はすぐに生まれる。実際、人はちょっとのことで人を憎む。すれちがうときによけようとしなかったから、という理由で人を憎むし、ドアをバタンと強く閉めたから、という理由で人を憎む。顔を知らない人を愛することはできないが、顔を知らない人を憎むことはできる。あの人はこんなことをしたんですよ、と聞かされるだけで、その人を憎むこともできる。愛している人を、部分的に憎むことさえできる。人を愛するのは難しいが、人を憎むのはたやすい。

人は案外簡単に他人を応援する。本腰を入れて応援しなくていいなら、応援するよ、と簡単に言える。実際には何もしなくても、応援している気分にはなれる。

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