『いのちの十字路』

南杏子さんの作品。

『いのちの停車場』の続編である。新人医師の野呂がまほろば診療所で経験を積んでいく。

ゴリという魚は初めて知ったので、石川に行く機会があったら食べてみたい。

ヤングケアラーが生まれる理由というのが今までよく分からなかったが、野呂自身の体験を読み進んでいくうちに少しずつ理解することができた。「自分が家族の役に立っている」という思いが、より家族のケアを頑張るモチベーションになるのだと感じた。

介護にも権利があるというのを聞いて、ぜひ世の中に広まってほしいことだと感じた。まだ世間では義務のように感じている人も少なからずいると思う。


印象に残っている文

まさか「かぜねつ」が方言とは知らなかった。口内炎や口唇炎を意味する言葉として石川県や福井県で使われるという。

体に水分が不足していると、持ち上げた皮膚が元に戻るまでに時間がかかる。皮膚の弾力性を確認する触診法で、これをツルゴール反応という。二秒以上かかるときは脱水症状を疑うのが一般的だ。

社会生活の基礎であるコミュニケーション能力は、足腰を動かすための筋力とも似ている。言葉も筋肉も、使わなければ衰えてしまう。

①介護を受ける権利
②介護を行う権利
③介護を受けるのを強制されない権利
④介護を行うのを強制されない権利

初めて診察する患者さんは、「おなじみさん」の五倍くらいの労力を要する。

電撃イライラ棒というゲームがある。曲がりくねったワイヤーに触れないよう金属の輪を通すゲームだ。触れてしまえば、電流が走ってゲームオーバーになる。誰かを介護しながらの生活というのは、まさにそれだった。

要介護認定は、病気や障害の「重さ」ではなく、介護の「手間」を数字で表したものだ。

石川県内では、多くの外国人技能実習生が漁業に従事している。とりわけ若者が多く、十代から二十代が八割を占め、三十代を含めると九割になる。

笑顔でないと、いくら説明しても患者さんに理解してもらえず、薬も飲んでもらえない。笑顔はつまり、あなたは大切な人で、理解され、受け入れられていますよ、という合図なのだ。

その一方でモルヒネは、病気の最終段階で使われることが多いため、患者の家族からは「最後に投与されたモルヒネのせいで命を落とした」という誤解を受けやすい。だがそれは、まったくもって誤った解釈で、患者の死はあくまで病気の進行によるものだ。現に、モルヒネ治療は命を縮めないとする論文も発表されている。

頻尿は、脳梗塞の後遺症でよく見られる症状だ。

パーキンソン病になっても、薬がよく効いていて症状を抑えられる時期がある。それを医療関係者は「ハネムーン期」と呼ぶ。

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