『ゴールデンタイムの消費期限』

斜線堂有紀さんの作品。斜線堂さんの作品は初めて読む。

小学生で作家デビューしたものの高校生となった現在、作品を書けていない綴喜。

ある日に元天才たちが施設に集められ、レミントンと呼ばれるAIと「セッション」を行うように担当者から言われる。


AIのアドバイスを受けながら作品を発表したら、それは果たして本人の作品だと言えるのだろうか?

人間としてのプライドを尊重したい人と、技術の活用に積極的な人で意見が分かれると思う。

真取のルーティンの話が印象に残っている。

綴喜くんの書いた小説を読んでみたいと思った。


印象に残っている文

「フィッツジェラルドは新作を発表せずに八十年が経った。しかも彼が書いた長編はたったの四本」

「ああ。岩絵具っていうのは、鉱石なんかを砕いて作られる絵具のことだよ。それを膠っていう溶液で溶かして使うんだ。番手は、石がどれだけ細かいかを示す値。決して安いものじゃないのに、僕の部屋にはふんだんにあった」

「哲学者のシーン・ドーランス・ケリーは猿がシェイクスピアの『オセロー』を打ち出したところで、猿を偉大なる劇作家と認めることは出来ないと言っています。猿が偶発的に生んだ『オセロー』には人間にとって好ましいビジョンの表現も、思索も何もありません。このため、AIは創造的な芸術家になり得ないのだと」

「ちやほや持ち上げられたいわけじゃない。これ以上、下に落ちたくないだけなんだ。たった一回天才だって持て囃されたお陰で、僕は一生そのツケを払わされる。ただ生きているだけで消費期限を突きつけられるんだよ。終わった人間相手には何を言ったって赦されるとみんな思ってる。過去に書いたものもあげつらわれて、お前は偽物だったって言われ続けるんだ」

「小説が書けなくても、生きてていいんだよ」

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