『近いはずの人』


小野寺史宜さんの作品。

俊英は妻の絵美を失った。
絵美は乗っていたタクシーが崖から転落して命を落とした。
残された妻の携帯電話の暗証番号を解除すると、怪しいメールが残っていた。絵美は「8」と呼ぶ人物と一緒に温泉旅行の計画を立てていたことがわかったのだ。

妻という「近いはずの人」でさえ、わからないことがたくさんある。
普段私たちはあらゆる顔を見せている。その一部の顔しか知らないからこそ、亡くなってから「なぜ?」というように感じるのかもしれない。
妻の秘密を知ったときの気持ちは、複雑だ。本当に知ったほうが良いのかどうか、先に教えてもらえたらどんなにいいだろう。
世の中には知らない方が良いこともあると感じた。

印象に残っている文

鶏口となるも牛後となるなかれ。だが大抵の人間は、牛後でいることを選ぶ。

身近にいた人が亡くなった瞬間を感じられなかったことで、残された者の痛みは増す。何も知らずにその瞬間をのうのうと生きていた自分の姿を想像せずにはいられなくなる。

そう。主任。実質何の権限もないものの、もうペーペーではないと対外的に示しつつ本人にも自覚を促す便利な肩書き。

「人が亡くなると、その人がまるで天使だったみたいな言われ方をすることがあるじゃないですか。すごく優しかったとか、あんなにいい人はいなかったとか」
「ありますね」と同意する。
「で、少し時間が経つと、実はそんなに優しくなかった、むしろいやな人だった、になる。亡くなった直後は、その衝撃が大きいから、厳かな気分になるんでしょうね。だから変にほめちゃう。ほめ過ぎちゃう。それで、反動が来る。勝手にほめたのに、何か振りまわされたみたいに感じる。だから今度は、変にけなしちゃう」

「かわいい子って、すんなりきれいに変われるか、ただかわいくなくなっちゃうかの、どちらかだから」

被害者面という言葉がある。大抵は、他人に対して遣う。僕は被害者面をしています、などと言うことはまずない。自覚のない場合がほとんどだからだ。

人にはいろいろな事情がある。知っておいた方がいいものもあるし、知らなくていいものもある。知るべきかどうかは、人同士の関係性によって変わる。そして人は、知っている場所だけで、充分、振りまわされることができる。


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