『くちびるに歌を』


中田永一さんの作品。
五島列島にある中学校の合唱部のお話。顧問だった松山先生が出産のためお休みすることになり、代わりに東京から来た柏木先生が合唱部の顧問になった。女子だけの合唱部に男子部員も入り、Nコン出場を目指していく。

桑原サトルの兄に対する想いが語られているシーンがとても印象に残っている。ここまで兄のことを想っている弟はなかなかいないと思う。
今まで女子だけでやっていた中、新しく男子が入ってきて嫌だと思う女子部員の気持ちに共感した。「手紙」という曲を深く理解するために、十五年後の自分に手紙を書いてみるという課題が素敵だなと思った。合唱部の歌う「手紙」と柏木先生作曲の自由曲を聞いてみたいと思った。

印象に残っている文

いい声を出すには、いい息を出さなくてはいけない。いい息を出すには体をほぐすひつようがある。また、強い息を発するための筋力もそれなりにほしい。だから発声練習の前には、音楽室の床に寝転がって腹筋運動をするのだ。

【ドレミファソラシド】と発生する男子の声が、欠陥住宅の階段みたいにおもえるときもある。一階から二階へ、二階から三階へのぼっていたら、突然、段が抜け落ちていたり、段の高さがまちまちだったりと、一瞬も気が抜けない。

さっきまでむこうの集団の会話に首をつっこんでいたかとおもったら、いつのまにかこっちのグループにまじって相づちをうち、気づけば教室からいなくなって、廊下でなぜか先生にしかられていたりと、この学校に彼は何人いるのだろうかとおもわせる。

「一人だけが抜きん出ていても、意味がないんだ。そいつの声ばかり聞こえてしまう。それが耳障りなんだ。だから、みんなで足並みをそろえて前進しなくちゃいけない。みんなでいっしょになって声を光らせなくちゃいけない。なによりも、他の人とピッチを合わせることが武器になるんだ。だから、だれも見捨てずに、向上していかなくちゃならない」

ありえない、ということがおこったとき、人は動揺する。動揺は伝染し、致命的な失敗を引きおこす。

私たちの歌声は、柏木先生と辻エリの二人がかりで調整された。それはまるで宝石を磨くように、不純物を取り除いて純粋なものにちかづけていく行為だった。

頭のなかで百回歌えば、百回おなじに歌える。けれど実際の舞台ではそうならない。百回中の九十五回は平凡な演奏で、四回くらいノリの悪いダメな演奏があり、そして一回くらいは神がかったような演奏ができる。


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