『小さいおうち』

中島京子さんの作品。

昭和初期に富裕層の平井家の女中だったタキの物語。

タキの回顧録を読んでみると、健史と同じような感想が思い浮かんだ。今の現役世代が知っている戦争の認識と、実際に体験した人のそれは全く異なるのだと感じた。

旦那さんの発言がどんどん戦争賛成派になっていった場面や、タキが創意工夫をして戦時中を乗り越えていく場面がとても印象に残っている。

板倉に対してタキがとった行動を知ったあとに表紙を見て、そういう意味だったのかと納得した。


印象に残っている文

女中にとっていちばんたいせつなもの、それは、掃除や炊事の手際の良さだけではないのだ。ある種の頭の良さのようなものだ。

心得ましたとうなずいて、背の高い奥様を見上げると、そこには気持ちが通じ合っている者同士にだけ交わされる、親しげな目配せがあった。

わたしが長い間この仕事をしていてわかったのは、ご家庭が百あったらご夫婦の姿は百通りあるということなのだ。

ス・フというのは、あのころ登場して戦時中を風靡した人絹、ステープル・ファイバーというもので、悲しいくらい水に弱い布地だった。

毎月一回、月の初めに、兵隊さんの労苦を思い、贅沢をつつしむ日で、お国が決めて、みんなでやっていた。

興亜奉公日

でも、女中は本来、奥様のご指示だけで働くものだ。旦那様が奥様にお命じになり、奥様からご指示があって初めて、旦那様のお使いもする。そうしないと、命令系統がこんがらがってしまう。

そのころは、「翼賛」が、ばかに流行っていて、翼賛型経済だとか、翼賛型生活だとか、真面目で正しくいいものはみんな「翼賛」ということになっていた。

「文壇とは恐ろしいところだ。なんだか神がかり的なものが、知性の世界にまで入ってくる。だんだん、みんなが人を見てものを言うようになる。そしていちばん解りやすくて強い口調のものが、人を圧迫するようになる。抵抗はできまい。急進的なものは、はこびるだろう。このままいけば、誰かに非難されるより先に、強い口調でものを言ったほうが勝ちだとなってくる。そうはしたくない。」

「マドリング・スルー。計画も秘策もなく、どうやらこうやらその場その場を切り抜ける。戦場にいるときの、連中の方法なんだ。」

人は、市原悦子が出てくるテレビドラマなどを見て、家政婦や女中なんてものは、いつでも家人の手紙を勝手に読んでいると思うようだが、わたしたちはそんなことはしないのである。

戦地に行っていない者たちが、戦地の話をするのは、平和なときだ。

「強いられてする人もいれば、自ら望んだ人もいて、それが不本意だったことすら、長い時間を経なければわからない。」

僕はいつも、聞かなかった問いの答えばかりを探している。

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