『手のひらの楽園』

宮木あや子さんの作品。

長崎の松乃島出身の友麻が島を離れて高校生活を送る話。

友麻は父親はすでに死んだと島の人に伝えられて育ってきた。母親は友麻の前からいなくなってしまう。

奨学金を借りながらエステ科に通う友麻。寮の同部屋は看護科のこづえ。


友麻の周りの人がとても素敵だと思った。特に、調理員の三枝さんとこづえのお兄さんが良い人だと思った。友麻がこづえのお父さんに対して「看護科に進んだこづえのことを認めてあげてほしい」と訴える場面が、とても印象的だった。

こづえのように一見不自由なく暮らしているような家族にも、何らかの家庭の問題があるのだなと思った。


印象に残っている文

もし私が働けていたらお母さんは仕事を休めて、もっとたくさん一緒にいる時間があったのではないか。もっとたくさんいろんなことを話せたのではないか。

エステティックのマッサージには治療の効果はない。実際にリンパを流せば老廃物が尿と一緒に出てゆくのだが、それも医学的には証明されてない。宣伝文句に医療、治療や治癒の文言を使用するのも禁止されている。

「アダムとイブをそそのかして禁断の果実を食べさせたっていう説の刷り込みのせいで人はDNAレベルで蛇が好かんらしいけど、その時代って蛇、喋れとうやろうか? もし喋れんかったとしたら前提からして嘘だと思わん?」

肌や髪に手を触れられていると人は饒舌になる。母も叔母もそうだった。単純に身体的にほぐれると気持ちもほぐれる。 

ーー父はいません、母も四月に出てったきり音信不通で、いつ帰るのか私が知りたかくらいです。なるべく明るく伝えたつもりだった。しかし弥生の母親の目はその瞬間、娘の友達を見る目ではなく、自分よりも可哀想な人、もしくは異物とか汚物とかを見る目に変わった。眼前にものすごい勢いで透明なシャッターが下されるのを感じた。

フランス、イギリス、イタリアでは、エステティシャンの国家資格がある。

「あと、日本人って綺麗になるのが悪いことみたいな気持ちあるわよね」

「それ、テレビの中の人もときどき勘違いしてるけど、日射病と熱中症は別物なんです。日射病は長時間直射日光にあたることによって発症するもので、熱中症は室内外問わず、身体が熱されたときに出る障害の総称です。」

たしかに「東京に出てきた田舎の若者」は物語にされがちだ。それが夢を叶えるためだったり、東京への憧れだったり、更に挫折があったりすると東京の大人たちは喜ぶ。物語として消費される若者のほうはたまったもんじゃないだろうな、といつも思う。

最近の若者は無気力だ、とかいう文章をネットのどこかで見たが、どのクラスも既に登校している生徒たちが、校庭やパティオで最終練習している様子を見ると、大人はいったいどこを見ているんだろうと思う。

私、何やってんだろう。乗り間違えたバスに、乗り間違えたことを知りながら、しかしどうしてもシートベルトが外れなくて、もちゃもちゃしているうちに終点まで来てしまった、そんな気持ちだった。

「それよりも、ワンパクって腕が白いって書くやろ。でもワンパクな子供の腕は普通、日に焼けて黒いと思うと」

大人が本当は完璧ではないと判ってしまったときの悲しみ。間違いを認められない幼さを感じてしまった、情けないような気持ち。


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