『光秀の定理』

垣谷涼介さんの作品。

百姓相手に剣術を教える新九郎と原始仏教を学んできた愚息の2人から見た明智光秀の物語。

物語の途中に条件付き確率の話が出てくる。愚息が博打で勝つ確率が高い理由について、ずっと謎だった。確率の単元をもっと勉強していれば良かった。

作中の明智光秀は、心優しい人という自分のイメージしていた人物像とマッチしていた。結局なぜ本能寺の変を起こしたのかは、当人にしかわからないだろう。

愚息の言葉がとても深く刺さった。


印象に残っている文

同じ目線の高さでモノを考え、笑い合うことが出来る。そして、そんな相手が一生の伴侶として、寝るときも話すときも常に傍にいてくれる。人として生まれた日常の中で、これ以上の幸せがあるだろうかーー。

人間、通常の心持ちであれば、かなりの部分で愛想よくふるまうことが出来る。好印象にふるまうことは出来る。だが、怒れば怒るほど、あるいは負の場面になればなるほど、傍目には愛嬌が丸出しになる人間など滅多にいないだろう。そして、その肝心な場面での愛嬌に、人は吸い寄せられる。


「意味など考えるな。そもそも念仏の言葉に、意味などないのだ。天竺言葉への、単なる当て字だ。唱えて気持ちよければ、それでよいのだ」


「倫理や観念、一時の結果論だけで事象を判断しては、事の本質を見誤る」

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