『太陽の坐る場所』

辻村深月さんの作品。

高校のクラス会に有名人のキョウコを呼ぼうとするお話。


キョウコがカタカナ表記であることに疑問を抱いていたが、最後にその理由がわかった。

クラス内のポジション争いで繰り広げられる駆け引きが、とても嫌な感じだった。

結婚しているかどうか、都内で生活しているかどうか、そういった物差しでマウントを取って取られてというのを見て、同窓会がそのような場になると嫌だと感じた。


印象に残っている文

「聡美だって感じることない? 田舎に残った子たちの、東京に出てった人間に対する劣等感ってすごいよね。別にこっちは何も思ってないのに、何かっていうと自分が田舎に残ったのは仕方なかったって話始めたり、かと思うと、自分の旦那とか彼氏の自慢話。」

真崎が言う。本気とも冗談ともつかない間合い。まるきりふざけているかと思えば、相手が乗ってくるなら、それで構わないという、細かい罠を仕掛けるような。

容易く人前で自分を作る聡美には、それによる相手への後ろめたさもまた存在する。その罪悪感を見抜くような、そんな相手が苦手だった。

もし自分の胸の中に辞書があって、その中に「学生演劇」という言葉を引いてみろと言われたら、きっとこう書いてある。『馴れ合い。才能のない者同士が潰し合い、時に才能ある者までもを潰してしまう、どうしようもない場所』

わかっている大人同士が話す、知らない名前や単語の数々。彼らと共通の文脈がない自分は、何の武器も持たない丸裸の子供だった。

革命を起こすスターは、一つの時代を終焉させることしか皆に求められていない。次に期待されるのは、失墜なのだ。

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