『奇跡集』


小野寺史宜さんの作品。

同じ電車に居合わせた人々の奇跡に関するお話。

ある者は腹痛のためテストに遅れ、ある者は痴漢冤罪を目撃し、ある者は拳銃密輸の重要参考人を追い、ある者は販売商品の企画を考える。

もしも自分が電車の中で体調が悪くなったら、もしくは腹痛になってしまったらその日の気分は最悪になってしまうだろう。この本では電車を乗り過ごしたからこその偶然や、電車が線路立ち入りでしばらく停まったことによって、奇跡が起きる。一見マイナスのように思えることでも、何かプラスになることの前兆かもしれない。そう思わせてくれた本だった。

印象に残っている文

腹の暴れ竜問題にはメンタルが大きく関わる。ヤバいと思ったらもうヤバい。ダメだと思ったらもうダメだ。自然に治ることはない。トイレ以外の場所で問題を解決することはできない。

ぼくは十九歳。お酒は飲めない。飲めるとしても飲まない。苦手なのだ。味も。酒なんてとっくに飲んでるよ、というノリも。

高校生になると、関係を築かないまま人と共存することを覚えた。結果、敵でも味方でもない人たちが増えた。一度もしゃべらずに終わったクラスメイトが何人もいた。

何かあったらとりあえず撮る。そんな人は確かにいる。結構いる。

がんは甘くない。あなたはたばこを吸わないからあなたの肺には近づきませんよ。あなたはお酒を飲まないからあなたの肝臓には近づきませんよ。そんなことは言ってくれない。誰がなってもおかしくない。それががんだ。

動作が簡単になれば、人は簡単に事を起こす。その行為へ流れやすくなる。

犯罪者とそうでない者に違いなどない。悪人だから悪いことをするわけではないし、根っからの悪人だけがそうするわけでもない。悪いことをしたから悪人と見られる。周りの見方がそれを境に変わってしまうだけ。

やはり、歳をとればそうなるのだ。人が人に丁寧な対応をするのを見るだけでうれしくなる。

愚かな人はどこにでもいる。愚かでない人たちも、愚かな人の愚かな行為を止めたりはしない。進んで関わったりはしない。

スマホに夢中なやつは、たいていそうだよな。寄り目になって、ニヤニヤ笑う。見られたもんじゃない。その顔をそいつ自身に見せてやりたいと、いつも思うよ。

ジンにバン。あやしいやつは短い名前が好きだな。取引相手で武者小路とか、聞いたことねえよ。

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