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わたしなら

気持ちが下へ、深く、深く
沈むことの多い時期だった。
それでもなんとか、まばらにだけども、
解決できることは解決して
時間がかかりそうなことは
未来のわたしに託した。

そんな中、ドイツの友人に電話をかけた。
電話口から聞こえる優しい声に
思わず涙が出そうになるのをこらえ
つまりづまり、話していると
「泣いているの」の一言。
友人は黙って、話を聞いてくれた。

「すべてから解放されてほしい」
聞き慣れた調子で呟かれたその言葉は
やはり、あたたかかった。
現状を投げ出すことができれば、と
思うこともあったけれど
投げ出した未来も、取り残してしまうものたちも
わたしはきっと惜しまずにはいられなくなる。
天邪鬼なのだ。

頑張ろうとしなくていいのだと
背中をさすってくれているような
そんなあなたのあたたかさに
わたしは触れたかったんだろうね。

その数日後、ドイツから手紙が届いた。
2枚の便箋と、ポストカードが1枚。
“Du schaffst das!”
は、「あなたならできる」の意。
ありふれた励ましの言葉が、
この瞬間、世界でわたしだけに
向けられた言葉のような
そんな特別な気配を帯び
胸の真ん中がじんわり火照る。

言葉に救われ
言葉に悩まされ
そういうふうに感情を揺さぶられてはいけない
と、自分を律しようとしていた時期も
以前はあったけれど
律さなければいけないことは
ここではなく、他にあった。
言葉や文章に携わっているからこそ、
敏感でいていいのだ。
良くも悪くも持って生まれ、
知らず知らずに育んできた
この感覚を捨ててしまうには
あまりにも情が移りすぎてしまっている。

そしてそれと、自分へのケアは別の問題だと
ようやく、モヤモヤを外在化する意識が
身についてきたように思う。

まだまだ、先は長い。
きっとできるさ。わたしなら。

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