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root 5 モトクロス名門チーム「マウンテンライダース」

大学生の頃からオートバイ好きの仲間とモトクロスの真似事を河川敷や原っぱでやってました。うるさく言われない、良い時代でした。

上手いや下手でなく、走ることが楽しかった!

RSタイチはその頃、ライダースパークタイチというモトクロスコースを運営していて、当然、RSタイチで仕事をさせてもらう事になった私はすぐ、見に行きました。

「衝撃」

見るものが異次元!でした。レースをするためのコースはジャンプ、コーナー全て考えられたレイアウトでそのコースをキレイに楽しそうに走っているライダー達。マシンもライディングギアもメッチャかっこ良い!

なぜ、あんなに高くジャンプが飛べるの?なぜ、あんなに速く走れるの?

オートバイに乗る才能やセンスがあった訳でも、体力&筋力など身体的に恵まれた訳でもなく、元々、楽しいだけで走っていた私は「これは自分はできない」心が萎んだ。さらに、交通事故に遭って三ヶ月の入院で痛さも大変さも知った私は走る事より怖さが先にたった。

でも、仲間たちは新しい目標ができたようで、楽しそうだった。

それから、仲間たちとライダースパークタイチに通う日々が始まった。

ライダースパークタイチを管理していたのが、モトクロス名門チーム「マウンテンライダース」監督・元木鉄治氏だった。眼光鋭く、見た目もかなり厳つく鬼監督そのままで、モトクロス業界ではかなり怖がられていた。

私はRSタイチのアルバイトという事もあり、コースではよく声を掛けていただいたが、暫くの間はかなりビビッていた。

その頃のマウンテンライダースは国際B級の馬場善人氏を筆頭にその数年後、次々に国際A級ライダーを輩出し、メーカーのワークスライダーやチャンピオンになっていったライダーたちがたくさんいた。彼らはライダースパークタイチをホームグラウンドとして猛練習をしていた。かなりヤバイ、凄い、ド素人の私には理解不能の走り方をしていた。

1年位たった頃、元木さんから、ライダーパークタイチでのレース運営の手伝いを頼まれた。レース運営には色々なサポートがあり人手が必要だった。

その頃、私は昔からの仲間やコースで知り合った人などを集めてクラブ員10名位の「PENGUIN RACING」というクラブを作ってモトクロスを楽しんでいた。

もともと、走るのが楽しい!で始めたクラブだったので、レースに出ようなんて思っているクラブ員はいなく、クラブ員は快諾してくれ、マウンテンライダースの色々な手伝いをするようになり、元木さんとの距離が近づいた。

RSタイチでの仕事は楽しかった。でも、モトクロスコースでの時間はさらに数倍楽しかった。速いライダーの走りを見て、研究して、自分ができないからクラブ員に教える。何回も何回も見ていると初めて見た時に異次元&理解不能と思った事が少しづつ理解できるようになってくる。そして、少し速くなったクラブ員に他のクラブ員が聞く、できなければ私に聞く、私がまた早いライダー見て考える。の繰り返しで少しづつ速くなるクラブ員が増えてくると、顔見知りになったライダーから話しかかけられるようになっていった。コースで走っているライダーはみんな、上手く、速く走りたいので必死で練習しているが、見てくれる、教えてくれる、コーチングをしてくれる人がいないので、私に聞いてくるの繰り返しでクラブ員が少しずつ増えていった。

元木さんとマウンテンライダース、ライダースパークタイチの恵まれた環境の中で私の居場所を見つけた。

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