お金について考える

お金について考えてみる。

貨幣、通貨といったものを一般的にお金と人々は呼んでいる。このお金で、人々は品物、情報、サービスといった物を交換させている。

貨幣の具体的な概要や、歴史についてはwikipedia、金融庁のサイト等で要説をつかんでもらいたい。ここでは貨幣の歴史は紹介しない。

その貨幣の歴史を見ると、人間は様々な物質を通貨としてきたようだ。

金を金貨にしたり、銀を銀貨に、銅を銅貨に、紙を紙幣にして、流通させてきた。このことを考えると、金であったり、銀であったりとお金には決まった物質がないと判断できる。

元素記号を思い浮かべてもらえばいいが、人間は、Au(金)、Ag(銀)、Al(アルミニウム)と様々なものをお金にしている。

何が表したいのかというと、お金というのは化学物質ではない。

化学で「お金はこれだ。」と表現できないのだから、化学物質ではない。

貨幣として、目にすると物質として感じてしまうが、お金は物質ではない。

お金については、どうとらえてもらっても自由だ。私は、捉え方を強制しているわけでもない。

ただ、お金をどういうものだろうと考えると、これは人間の心が生み出した「認知の産物」と考えている。これは、心理学の領域になると思う。つまり、投資学習を行うのならば、認知心理学な学習研究がかなり重要なのではと感じる。

このあたりは、私の主観なので、正しいか、正しくないかはどうでもいい。

ただ、私はお金は「認知の産物」と捉え、投資学習行動は心理学的なアプローチが必要だと思っている。


お金が使えることについて

もう一つ、お金について考えたい。何故お金が使えるのか。お金は、マルクスのいうところの共同幻想、ユングのいうところの普遍的無意識といったものなのだろう。

だが、これがなぜ使えるのか。

ただ、単純に皆が強力に信じているから使えるのだろう。

wikipedia、貨幣博物館のHPにも紹介があるが、日本最古の紙幣は山田葉書というものらしい。どういうものかというと、17世紀ごろに、伊勢の商人たちが勝手に作って、流通させたものだ。勝手に江戸幕府発行の銀貨と交換できたらしいので、今でいうところ、暗号通貨に近い。

皆が使えると思うから、使える。

使えるお金はそういうものであるようだ。

だが、「皆が使えると信じているから、使える。」というだけでは、使える理由が弱い気がする。

何故使えるかを考えるにあたり、前提条件が何なのかを考えると、恐らくお金が使える理由はこれなのかと思う。

何故かわからないが、この宇宙は、人間が強力に信じたものは、実現してしまう宇宙なのだと思う。ただ、思っても実現しないものもあるので、何とも言えない。人間が強力に信じたものは、実現するという前提条件があると、お金が使える理由が腑に落ちる気がする。

たぶん、判断が間違っているかもしれない。私では確固たる答えが見つけられなかった。どこかのインターネットのサイトに納得できる答えが掲載されているかもしれない。

だが、強力に信じていれば、実現できるという思いをもとに、相場学習を行っていきたい。

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