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ウマ娘3期に対する感情の整理

まず最初に断っておきたい。筆者はウマ娘BDを購入したり、アプリにもそれなりの額を投入していたりするくらいには、当コンテンツへ傾倒している。そしてリスペクトの気持ちは今も変わらない。
だから当記事にはコンテンツを貶める意図は一切介在せず、どう感じたかは読み手の判断に任せたい。

筆者はウマ娘一期二期を観終えた後に思った。毎話があまりに面白すぎて毎週座して待つことができない、と。だから三期は全て放送が終わった後にアマプラで一気に観ようと思い今に至る。
そして物凄く悲しくなった。自分の中にあるリスペクトの感情とその悲しさが混沌と混ざり合い胸中で収拾がつかなくなったため、筆を取った。

つまりは感情の整理だ。
三期ははっきり言って、可もなく不可もなく……どころか不可寄りの仕上がりだったように個人的には感じている。
だから三期に対して自分はどう感じたのか。それを言語化し、自分の中で腑に落とすというのが当記事の主題となる。

もう上記の文章からして、クソめんどくさいオタクの雰囲気が醸し出されてしまっている。が、ウマ娘というコンテンツがそれくらい好きだから、連休を使ってまでこんな散文を書き残している。どうでもいいコンテンツならこうはならない。ただ面白くないと一蹴して、当該作品には触れなくなるだけだ。

長々と前置きを書いてしまったが、以下からは各話を簡単に振り返りながら、感想を述べていきたい。

一話 憧れの景色

キタサンの皐月賞出走から始まり、ドゥラメンテに敗北。
「敗けちゃった〜」とシュールな表情で叫び、終盤の日本ダービーにて同じ台詞を今度は湿っぽく吐かせて暗転。新キャラのお披露目をしつつテンポも良い。お馴染みの早口観客が出たり、これまでと変わらないシュールギャグも挟んだり。と、掴みはバッチリだった。既存も新規も楽しめる仕上がりで、また面白くなりそうだと期待できる立ち上がりを見せてくれた。

二話 スタートライン

キタサンの動機が明かされる。

父親がライブで輝く姿を見て育った彼女は、自分もいつか父親のように観客の目を惹きつけるスターになりたいと思っていた。そんな漠然とした目標が、トウカイテイオーのレースを見たことによって明確な像を結ぶことになる。
テイオーのように走り、そして彼女と並び立ちたい。と、ポニーテールまで真似して走る練習に明け暮れるようになった。

だというのに、現実は重賞の連続敗北。早くも夢が潰えてしまう描写を展開。
そんな失意の中で、ライバル視していたドゥラメンテの骨折を知り、自分の中でドス黒い感情が渦巻いているのを意識してしまう。

キタサンの明るい性格とは相反したその葛藤に立ち会ったのはナイスネイチャだった。
ともすれば偶像のように捉えていたテイオーの怪我を正面から受け止めたネイチャを相談役として当てがう展開は素晴らしかった。正にベストオブアドバイザー。奇しくも目標や境遇が一致するネイチャ以外にキタサンを慰めることはできなかった。
そして来る菊花賞で一位を獲得。キタサンは自信を取り戻す。

と、ここまでも完璧に面白い。キタサンと似た動機や境遇を持つネイチャをアドバイザーに抜擢した手腕に魅せられた

三話 夢は終わらない

ここでは一旦、主役のキタサンやサトノダイヤモンドから視点を移し、ゴールドシップが主眼となった話が挿入される。過去作のキャラクターは最新作では原則活躍しないのだが、ウマ娘では史実を忠実に再現するため、ある意味で特異な回となった。

キタサンは重賞を七つも制覇している。前作主人公ら(スペシャルウィーク、トウカイテイオー)の重賞四つと比較しても描写しなければならないシーンが多い。
そのためかなりテンポ良くストーリー展開をする必要がある。更に幼馴染でありもう一人の主役と言っても差し支えないサトノダイヤモンドの活躍も描く必要があるのだから大変だ。

それでもゴルシ主眼の当回には、ある程度の尺を使う必要がある。後にキタサンが直面するピークアウトに助言をするゴルシの下地作りになっているからだ。

平時の言動が異常なゴルシが珍しくシリアスな顔でキタサンへと「一面のみ揃えたルービックキューブ」を渡し、「私は六面揃えた(重賞六つ制覇)。お前は何面揃えられるかな?」と、遠回しな鼓舞を送るシーンでは胸に込み上げるものがあった。しかも唯一揃っている面が獲ったばかりの菊花賞の黄色であるのだから、演出としてもにくい。

ここまで見てもまだ面白い。ゴルシのラストランを描きつつ、キタサンが直面するピークアウトへの助言役としての下地作りも行っているのだから、無駄な部分はないように思える

四話 あたしだけの輝き

この辺りから雲行きが怪しくなる。
四話はキタサン産経大阪杯の敗北。からの「またしても」ネイチャの相談から始まる。
流石にネイチャを擦り過ぎだろう。

二話に続きネイチャが相談役として立ち位置を確立しているのは理解できるが、そろそろトレーナーの出番だ。二話でネイチャを相談役にしたのは英断だと思うが、何度も登場させるのは悪手でしかない。ハードトレーニングの契機としてキタサンの相談描写は挟まなければならないが、それは必ずしもネイチャである必要はないだろう。

何故ならキタサンは重賞を一つ制覇している。この時点でネイチャを相談役に据えるのは無理が出てくる。重賞を獲ったことのないネイチャからしても(彼女がいくら良心的な質とはいえ)複雑な心境だったろう。三位続きの自分に辟易し、その実績が心底からコンプレックスだったからこそ二期ネイチャは輝いた。それだけの背景を持つ彼女が重賞を獲った後輩の相談役を務めるなど、ユーザからしても見ていて辛い。

だからこの辺りから相談役にはトレーナーを据えるべきだったように感じる。
一期を思い出して欲しい。夜、大樹のうろに向かって叫ぶスペシャルウィークを鼓舞したのは他でもないトレーナーだ。

一期の夏合宿でもそうだ。スランプに陥りバイクから転落したスズカを助けようとしたスぺシャルウィーク。彼女を厳しく叱咤したのもトレーナーだ。平時はのらりくらりとした言動が目立つトレーナーが熱血漢な側面を覗かせて、感情も露わにウマ娘と向き合うその姿に我々ユーザは強い感銘を受けた筈だ。

彼の役割は結構重要で、ユーザが無意識下に抱いている感情をトレーナーには言わせることが可能だ。それによってユーザは彼と強く同調し、劇中キャラへの感情移入が容易となる。言い換えればトレーナーは感情移入への案内人。これを使わない手はない。

だというのに、トレーナーは終始熱を持たず、キタサンと面と向き合い叱咤激励することはなかった。これは劇中通してずっとそうだ。一期二期で見せてくれたトレーナーの熱い血潮は一体どこへ行ってしまったのだろう。彼はまるで隠居した御老体のように刃を鈍として、最終話まで静かに展開を見守っているだけだった。

まだサトノダイヤモンドの満足な描写も挟めておらず、ただでさえ尺が足りないというのに、ここでトレーナーが熱を見せなかったらどうするのだ。
感情移入の入り口である彼がまるで機能していない。それが三期における明確な粗であるように思えてならない。

五話 自分の証明

この辺りからは散々だ。

骨折から復帰したドゥラメンテとの宝塚での対戦を見据えて、練習に明け暮れるキタサン。そして雨宿りを共にした際に「君は誰だ?」と、ドゥラメンテからはキタサンがまるで眼中になかったことが明かされる。前だけを見て走るストイックなドゥラメンテにとって他者の名前と人物像とが一致しないのは頷ける事実ではある。が、キタサンからすれば悔しかっただろう。
だから来る宝塚では特訓して強くなった姿をドゥラメンテに見せつけて、またドゥラメンテはキタサンを目に焼き付けた。

これだけならよかった。が、問題なのはキタサンの態度だ。
果たして、宝塚記念を制したのはリバーライト(馬名はウマ娘オリジナル)。
キタサンはドゥラメンテだけを見据えて勝負していたのだから、全く警戒していなかった子に抜かされて唖然となった。その心情は理解できる。

しかし。
「誰〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!?」
はあんまりだろう。

リバーライトだってキタサンと同じく特訓してG1を制したのだ。なのに彼女に対するリスペクトがまるで無い。それどころか陳腐に喜ぶ彼女を背景にして、ドゥラメンテと健闘を讃え合うのだから、はっきり言って最悪だ。

ドゥラメンテの眼中に無いことがわかり悔しがった過去を忘れたのだろうか。それと同じことをしている挙句、ドゥラメンテと馴れ合っている描写を挟むのだから、キタサンに対するユーザの心象は言うまでも無いだろう。

確かにリバーライトはシナリオの主眼にはなれないので、あんまりメイン級のキャラと絡ませるのはかえって展開の質を希釈にさせるため望ましくない。
だから「あの子も強かったな」くらいの台詞を言わせておき、その後にドゥラメンテと健闘を讃え合えば良かった。

それにリバーライトの喜ばせ方も敢えて陳腐にしているのが気に触る。これでは馬鹿にしているのと変わらない。そんな彼女を背景にしてメイン級のキャラが馴れ合っていては、リバーライトをあて馬にしているようではないか。

この時点でキタサンのキャラクター設計が崩壊しているのだ。
誰に対しても親切にする心優しい性根を持ち、誰に対してもリスペクトを忘れない純朴なキタサン像は瓦解し、自分の眼中に留まる相手だけへと関心を寄せる薄っぺらいキャラに成り果ててしまった。

平時の言動と矛盾するキタサンの態度は腹に据えかねる。ここまでくると、もはやキタサンへの感情移入など不可能だ。

六話 ダイヤモンド

ようやくサトノダイヤモンド視点の話が描かれる。
六話では「サトノのウマ娘はG1を獲れない」というジンクスを破るべく奮闘するダイヤが描かれるのだが、いかんせん尺を使いすぎだ。
しかもサトノが目標であるメジロマックイーンの助言を蔑ろにするのだから目も当てられない。

ウマ娘はシュールギャグを一つの売りにしている節があり、そこはユーザとしても魅力に感じているので構わない。が、それを挟むシーンは選ぶ必要がある。

自分が目標として今も焦がれる相手の金言を遮り、「一ついいですか」と言うダイヤモンドのキャラクター設計もここで崩壊してしまっている。
本来のダイヤモンドであれば、マックイーンの話は最後まで聞いて腑に落とす筈だ。

折角、一話丸々使ってジンクス破りに駆け回るキャラ描写をしたのに、最後の最後で設定を瓦解させるのだからどうしようもない。ジンクス破りの設定だけは頑なに守り通したのに対して、マックイーンへの憧憬という設定を壊す意味がわからない。

五話でキタサンのキャラクターを崩壊させて、続く六話でもこの有様。
果たして、ダイヤは菊花賞を制しジンクスを破るのだが、ユーザは変にギャグを挟まれてまともに感情移入できていないので、それを見せられてもまるで何も感じられない。どういう気持ちでダイヤの活躍を見ればいいのかわからないのだ。

七話 あたしたちの有マ記念

七話で語ることはほとんどない。

幼馴染同士の正面衝突。幼い頃から背中を見せられたダイヤにまたしても背を見せられて敗北を喫するキタサン。
本来なら、かなり感動できるシーンである筈だが、五話〜六話でキタサンとダイヤのキャラ設計は崩壊しているので、感情移入は不可能だ。

これでもかと擦られる商店街住民との絡みはいい加減くどいし、悪意はないのだろうが重賞をいくつも制したキタサンがネイチャを「先生」呼びするのは、嫌味にしか聞こえない。

二期やアプリでネイチャを好きになったユーザからすれば、ただ悲しいだけだ。キタサンの言動はシュールギャグの域を飛び越えて、キャラを貶めるだけになっている。

八話 ずっとあったもの

もういい加減に許してほしい。
八話では、またしてもネイチャが相談役に据えられる。

トレーナーは何をしているんだ?
お前の出番はもうここしかないだろう。
ダイヤに負けて傷心するキタサンをネイチャに慰めさせてどうするんだ。互いの成績を比較に出してまで、またしてもギャグとして消費してどうするんだ。

ウマ娘の魅力は「史実をストーリーへ忠実に落とし込んだスポ根」という部分にある。
だからここでのキタサンは(少し乱暴な言い方だが)、夜の学園で葛藤を抱えながらトレーニングでもさせていればよかった。一期スペシャルウィークのように葛藤を紛らせるがごとくトレーニングをして、それを見るに見かねたトレーナーが導いてやるべきだった。悩むウマ娘の側にはいつだって厳しいトレーナーが居たのに、彼はここでも登場しない。ウマ娘の浮き沈みをコントロールしてやるのはネイチャではない。トレーナーであるべきだ。

また、この回では怪我から復帰できずにいるドゥラメンテからキタサンへ、動機の再確認が行われる。

テイオーのようになる夢は潰えて諦めていたが、商店街の人々と触れ合ううちに、やはり一番最初の夢を拾い直そうとキタサンは再起する……のだが。

この役割もトレーナーが適している。
ドゥラメンテは五話でリバーライトをあて馬にした馴れ合いをしているため、ここで再登場させられても微妙だ。

加えて、ウマ娘アニメは「史実以上の活躍はできない」という厳しい制約があるため、ドゥラメンテはキタサンの一時的な壁になった時点でその役割を終えている。互いに認め合ったはいいが、それ以上の展開は見込めないのだから、そう何度も登場させるものではないだろう。

九話 迫る熱に押されて

天皇賞春を前にして突然旅に出るキタサンとダイヤ。

レースでも負けて行き先を決めるジャンケンでも負けて、キタサンが旅の行方すら決められない演出や有馬記念での意趣返し「あなたに勝つ。サトノダイヤモンド」などは良かった。
それを踏まえた上で、今度はキタサンが背を見せつけて(過去回想を挟みながら)天皇賞春を制する展開に繋げるのも上手い。

が、そこに至るまでの葛藤があまりにも弱い。ネイチャに慰めさせるだけのその場凌ぎでキタサンを成長させた弊害がここにきて響いている。

一期スペシャルウィークとトレーナーのように、これぞスポ根だと言わんばかりに感情を剥き出しにして熱くぶつかり合い成長したキタサンがこの展開を迎えたのであれば、一期と同様の感動があったのかもしれない。

また、青ざめるネイチャのカットを挟むのもいい加減にやめてほしい。劇中での彼女の扱いは、もはやギャグとして消費できない域に達している。

十話 お祭り

特に言及する部分はない。文化祭シーンが展開されて、ピークアウトの不調を自覚するキタサンの描写はどこかで必ず必要だった。

十一話 決意

凱旋門賞を狙い海外へ飛ぶダイヤ、それに対して、ピークアウトを言及され凱旋門賞を回避するキタサン。
ここでは三話にて下地を作っておいたゴルシの助言が光る。珍しくシリアスな雰囲気を作り「お前はピークを過ぎたんだよ」と無慈悲に宣告する。

動機を再確認し、凱旋門賞にも挑戦すると決めて、これからという時に告げられた残酷な事実。これ自体は今までのアニメウマ娘になかった新たな要素であるし、最終話にて感動を誘うなら、その準備として相応しいように思える。が、
問題なのは、この終盤に至ってもキタサンへそこまで感情移入できていないことだ。

それにトレーナーの熱意もまるで感じられない。失意の中にあるキタサンへ「凱旋門賞には出て欲しくないと思っている」と告げるだけだった。テイオーの怪我を受け入れられず必死に治療法を模索した彼は、もうどこにもいない。

ありきたりな展開だとしても、スポ根はそれを真正面から堂々とやって感動を誘うのが許されている。むしろユーザはそれを見に来ている。であればここは、ピークアウトを受け入れられずがむしゃらにトレーニングをするキタサンの絶望を描き、それを見たトレーナーも何らかの行動に出て然るべきだった。その果てに諦観(凱旋門賞の回避)が用意されているのであれば説得力も出るだろう。

果たして、キタサンはまたしても商店街住民と接して、簡単に答えを自分だけで導いてしまう。もはやトレーナーの役割は形無しだ。登場している意味が非常に希薄である。

そしてさりげなく挟まれる「ダイヤの凱旋門賞15着」の事実。これも納得がいかない。
サトノのジンクスを破り、それだけに留まらず日本のレース業界へ貢献したいという強い動機を安易に消費してしまっている。

尺的には仕様がない。凱旋門賞のレースを描写している時間はない。それでも現場で敗北に喫するダイヤの1カットくらいは欲しかった。トレーニングの描写はもう不要なので、その代わりにダイヤの失意を描き、それを背景にしたレースという展開であれば、多少のカタルシスを感じられたのかもしれない。

ピークアウトに対する葛藤やそれと向き合う描写がほとんどないため、終盤で不調を自覚するキタサンの絶望にも説得力がない。
まるで打ち切り漫画でも見ているかのような気分に陥るだけだ。絶望に至るまでの描写が希薄故に、突如現れたピークアウトという要素が最終話へのあからさまな舵切りに見えてしまう。

十二話 キタサンブラック

凱旋門賞での不調を受けキタサンと走る最後のチャンスをこともなげに諦めるダイヤ(しかもそれに対するキタサンの言及は一切無し)。
そしてジャパンカップにて突如挟まれるシュバルグランの本音。

シュバルグランの描写はこれまでも度々挟まれていたので、ここで「大好きだ」という心情の吐露をさせてカタルシスを狙う算段だったのだろうが、どうにも感情移入できない。前述した通り、アニメウマ娘には史実以上の活躍ができないという厳しい制約があるため、シュバルを活躍させるならここしかないのだが、それはユーザをメイン級のキャラクターにしっかり感情移入させた上で成り立つ手法だ。
メインのキタサンやダイヤにすら感情を寄せられていないのに、突然シュバルだけに共感できる筈もない。

トレーナーとのぶつかり合いがあって、泥臭く成長して、夢を拾い直し、ピークアウトに葛藤しながらも受け入れて、そして幼馴染ともう二度と走れないという背景を持ったキタサンに強く同調している段階で、それでもシュバルがジャパンカップを制してしまう。

上記をこなした上で、ようやくシュバルにも感情移入ができるのだ。キタサンも辛い背景を背負っているけど、それを押し除けるくらいの意地を見せつけたシュバルという構図でなければ、カタルシスは誘えない。

更に言うならば、ここでシュバルの健闘をたたえるキタサンも我々に違和感を残す。リバーライトをあて馬にした彼女がここでシュバルに言葉を与えては、やはりキタサンは眼中に留まる相手だけに関心を向ける子なのだという本意ではない設定が、意図せず補強されてしまうからだ。

十三話 そしてあなたの

来る有馬記念。キタサンブラックのラストラン。

これを終えれば幼馴染とはもう二度と走れない。一勝一敗の実績を残したまま引退を迎える。だというのに、ダイヤとキタサンの会話は一切無い。

史実以上の活躍はできないため仕様がないかもしれないが、二人で話し合う描写が少しは欲しかったところだ。もう二度と勝負できないけど、それでも勝つ。と、キタサンの決意を見たかった。

果たして、ラストランへの葛藤なども特に挟まず、キタサンは有馬記念を制する。

総評

一期はスペシャルウィークに「日本一のウマ娘になる」という一貫した強い動機を持たせて、それが終盤まで一ミリも揺らがなかった。

親を亡くし、親戚に育てられたスペが、それでも今の母親を本物の家族のように想い、重賞を捧げる展開は涙無くして見られなかった。サイレンススズカの怪我で道を見失った彼女を叱咤激励するトレーナーの熱意に心から同調した。史実と異なる展開ができないという厳しい制約の中で堂々とスポ根を描いた脚本に惚れ込んだ。

二期は完璧だった。完璧という単語は、正に二期を表現するために生まれて来たのだろうと思うほどに非の打ち所がなかった。サブキャラであるミホノブルボンとライスシャワーの激突はおそろしく完成されていた。ツインターボがレースで一位を獲り、引退を決意していたテイオーを救う展開には嗚咽すら漏れた。互いに怪我をして互いに立ち直らせるテイオーとマックイーンの関係性に涙した。チームのウマ娘を想い、寝る間も惜しんで解決策を探すトレーナーと一体になった。

だというのに三期はどうしてこうなってしまったのだろう。
アプリでも築いたキタサンとダイヤのキャラクター設計は破壊され、ナイスネイチャは貶められ、トレーナーは終始行動を起こさない。シュールギャグがあらゆる場面で挿入されて、感情移入の機会は一切与えられなかった。

シュールギャグがどうして映えるのか。それは本筋の展開がシリアスで、ずっとそのままだとユーザは疲れてしまうからだ。スパイスのようにギャグが差し込まれなければ救いがない。だから適度にそれを挟むことで小休憩とし、キャラの愛嬌も担保する。
そういう明確な役割があるからシュールギャグは映えるのだ。三期ではそれを乱用しているせいで、ともすれば悪意のように目に映ってしまう。

以上のことから、筆者はウマ娘三期を無かったものとして認識することにした。
仮に四期があったとしても、三期のキャラクター設計が瓦解した過去主人公が登場してしまうだろうから、それによって生まれるマイナスな心象を制御するためだ。
だから三期のBDは購入せず、もう二度と試聴しないことにする。

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