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ドーヴィルへ 3月24日〜365日の香水


ロスチャイルド
ココシャネルが最初のブティックを開いたのがノルマンディ地方にある高級リゾート地ドーヴィルだった。
1913年のこと。
パリで成功させた帽子専門店に続き開きドーヴィルでは、自作の服を初めて店頭に並べた。
ウエストを絞らないスカートや開襟シャツのような上着などだ。
このブティックが瞬く間に評判になり、上流階級の顧客たちを一気に獲得したのには、ロスチャイルド夫人の影響が大きかったという。
夫人はもともとは、ポールポワレの顧客の一人だった。ポワレはシャネルに先んじてコルセットから女性を解放した第一人者で古代ギリシア風のドレスが人気を博していた。帝王として第一世界大戦前のモード界に君臨したデザイナーだ。
ファッションと香水を結びつけて、自ら香水製造を手掛けたのもシャネルに先んじていた。
ある時、ロスチャイルド夫人をポワレが自身の邸宅で開催するパーティに招かなかった出来事があり、怒った夫人はモード界の王様から新進のシャネルに乗り換えたらしい。
夫人に次々に顧客を紹介されてドーヴィルの店は大いに流行したという。
大富豪たちが、シンプルでまるで男もののようなスポーティなファッションに夢中になったのだ。
シャネルのビジネスの才は、当時のインフルエンサーを見事に射止めたのだ。

アーサーカペル
華やかな恋愛遍歴を持つシャネルが、生涯に結婚を望んだ男性は二人だけ。
愛嬌のある幼い顔立ちからボーイの愛称で呼ばれていたアーサーカペルは、シャネルが初めて結婚を望んだ男性だった。ドーヴィルでは二人は公然の関係だった。
仕事も恋愛も順調に見えたけれど、カペルには家柄の良い家から妻を迎える必要が出てきていて、ドーヴィルを訪れる回数も次第に減っていった頃でもある。
シャネルは19世紀的なものを葬り、新しい時代の女性たちに向けたアクティブでシンプルなファッションをスタイルとして確立させたけれど、階級社会は依然、彼女の前に立ちはだかっていたのだ。

paris-deauville/chanel/2018
調香師は当時の新進オリヴィエ・ポルジェ。
とはいえ、オリヴィエの父親はシャネル社の主任調香師のジャック・ポルジェなのだけれど。
避暑地の透明な陽射しの煌めきを思わせるような香調。コリアンダーやシトラスの香るトップノートからゴージャスなミドルのフローラル。
ブルボン王朝でオーデコロンが流行したように、ドーヴィルのブルジョワが開襟シャツのような上着で快活に海辺を歩く時に、漂うエレガントでライトな香り。
そんな光景が浮かぶ。
自分の人生は自分で切り開く。けれど、エレガントでいることを忘れないこと。マドモアゼルからのメッセージが風に乗って運ばれたような香水だ。

香り、思い、呼吸。

3月24日がお誕生日のかた、記念日のかた、おめでとうございます。

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