生き続ける言葉たち

近年、誹謗中傷に関してよく耳にしてきた。SNSで大きな問題となっており、ずっと議論が続けられている。僕が思う考えとして文面に残す言葉は思っている以上に力を持っていることを伝えたい。

例えば、僕が特定の人物のコメント欄暴言を吐いたとしよう。その言葉は僕にとって一過性のものでしかないが、僕が送った人物にはそのコメントはずっとコメント欄に残ることになる。意図せず開いてしまいたまたま僕の暴言を見てしまうだけで自動的に傷つく。その時、当の書いた本人はそんな書いたことも覚えておらず生活している。

それは、言い換えると書かれた言葉はずっと生き続けているのと同じだ。タヒねという言葉はずっとタヒねという意味を持ち続ける。消費期限などないのだ。普通生の声の方が何倍も力をもってそうだ。確かに、印象には残ると思う。しかし、人間の記憶力だ。忘れることだって多い。だが、インターネット上を漂っているそこまで罪な意識もなく放った言葉は永遠に漂い続ける。

僕の考えなんだが、発言権をなくせばいいと思う。直接本人のアカウント等の先にまでいって書き込む。その行為をなくしたらいいと思う。そうすれば、本人の目にはそう届かなくなるだろう。有名人にはライブの告知やお知らせを言える権利を与え、一般人にはいいねしか押せない位の制度。これが僕の考え付いた意見だ。今やネットがないとビジネス展開はほぼ無理だろう。それにはやはりネットは必要だと思う。わざわざ自分のことを調べなければ悪口のコメントは見なくて済むわけだ。

インターネットは思った以上にアングラな世界だ。日常生活で鬱憤を溜まらせた人間のはけ口のような場所に近いと思う。今僕が書いているこれもただの正義という感情での行動に近いと思う。如何に関与しないか、これが答えかもしれない。

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