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特撮ヒーローと「お母さん」の距離感

5月11日発売の「昭和40年男」最新号、巻頭特集は「俺たちのお母さん」と銘打ち、自分は表紙を飾っているウルトラの母について4ページほど書かせていただいた。

当初の企画打ち合わせのやり取りで、編集部から「母と言ったら思いつくキャラクターを羅列してくれ」と言われ、真っ先に思いついたのがウルトラの母だった。特撮専科を自認するライターとしては真っ当この上なかろう。

この他に思いついた特撮絡みの「お母さん(もしくは母的存在)」は、「イナズマン」のバラバンバラと、「ロボット刑事」の巨大要塞「マザー」、「がんばれロボコン」の大山家のママさん(演じたのはサザエさんの声でおなじみの加藤みどり)、古いところで「チビラくん」のママゴンくらいだった。

こう見ると、こと70年代以前に関する限り、特撮ヒーローにとって「母親」という存在は極めて印象が薄いといえる。

「ウルトラマンタロウ」でウルトラの母が登場するまで、ウルトラマンたちには兄弟こそいても、母がいることなど考えもしなかった。当時テレビを見ていた昭和40年男前後の世代の共通した意識だと思う。

仮面ライダーシリーズでは、本郷猛や一文字隼人の母について語られることはほとんどなかった。V3こと風見志郎については、両親と妹が第1話に登場したが、早々とデストロンに殺されてしまい、以降、母の存在はOPテーマにこそ刻まれているものの、劇中で語れれることもなく、これ以降のほかのライダーも母が登場するシチュエーションは見受けられない。

変身ヒーローブーム渦中の彼らは基本、愛情という言葉と強く結ばれた家族や母親という存在とは無縁の中で、ひたすらヒーロー野道を歩んでいった。乱暴な言い方をしてしまえば、ヒーローたる男たちに母など邪魔だったともいえよう。

そんな空気が当たり前のように漂っていた中で、唐突に登場した感のあったウルトラの母を、当時小学1年生だった自分は正視できなかった。同時に、ウルトラマンタロウを「何だこの甘えん坊は、それでもヒーローかよ」とうがった目で見ていた。何か、授業参観に母親が来るのを気恥ずかしく思ったのと似た感覚だった。

それでも、今回、母といえばという問いに「ウルトラの母」と躊躇なく反応したのは、特撮の専門家というだけではなく、当時からの強烈なインパクトがあったゆえなのだろう。

本誌の中にも書いたが、インタビューに答えてくれた脚本家の田口成光さんは、母親を早い時期になくした自身のことも踏まえ、ウルトラの母を健気に頑張る日本中の子どもたちの母として描いたと語っていた。自分などは、まったくもって両親に恵まれ、何不自由なく育てられたというのに、やれ気恥ずかしいだの甘えん坊だのと、それこそ自分の恥を思い知らされる話だった。

そう考えると、変身ブーム当時のヒーロー譚は、孤高を是とするあまり母の愛情を置き去りにしてしまったと言えるかもしれない。その中にあって、ウルトラの母もそうだが、悲劇の中で散ったイナズマンの母のエピソードが描かれたことも貴重な特撮史の1ページである。

本誌発売日の翌12日は令和最初の母の日だ。特撮ヒーロー育ちの私たちもたまにはカーネーションでも買って日頃の愛情に報いるのも良いのではないか。


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