「とびっくら」に見る流儀(4)

 私が子どものころ、「少年画報」という月刊雑誌があって、「まぼろし探偵」という漫画が連載されてあった。子どもたちの間で人気が高まって、実写版のTV番組や映画が製作されるまでになった。TV番組にあっては、当時は未だカワイ娘ちゃんだった吉永小百合なども出演していたのだったが、わずか一年で失速したことだった。言うなれば〈走り〉つづけられなかったのである。
 主題歌を今でも覚えている。「赤い帽子に黒マスク 黄色いマフラーなびかせて オートバイが空とべば 事件のおきた時なのさ ゆくぞ それ 元気な少年 まぼろし探偵 ……」などと歌われていた。漫画のなかではそれでよかったのだけれど、TVの実写版のなかではそうはいかなかった。主人公がはたして少年なのだろうかというところからして疑問だったし、黒マスクがひどく珍妙だった。そしてなによりもカッコイイはずのオートバイで駆けつけるシーンは出て来るでもなかった。あまりのウソと胡散くささに、失速は当然の帰結だった。残念ながら未だアニメーションの時代ではなかったのである。
 あまりのウソと胡散くささに……と、いま記したのだけれど、子どもであっても〈オートバイが空をとぶ〉などということを、むろん本気で信じていたわけではない。それはあくまでも〈急いで目的地に行く〉という表現であることを、誰しも承知していただろうことは疑いのないところであった。
 前項までに見て来たことを、ここにまとめてみよう。
 「とぶ」ということばには、主体の「急いでそこに向かおうという心情がこ籠められてある」表現なのである。それさえも「少しでも早く目的地に行き着こう」という意識のもとで使われる語であるから、途中の経路やプロセスには意は払われない。だからして「てれんこてれんことぶ」だのとは言わないし、あるいはまた「目の前をとんどる」などと言ったのでは意味に齟齬を来たすことにもなるのである。
 「かける」にあっても、やはり「急いでそこに向かおうという心情」で用いる点においては「とぶ」に通っているが、こちらは「途中の経過やプロセス」が認識されて用いられる語である。されば「てれんこてれんこ駆ける」のはダメであっても、「坂道を駆けて行く」のは当然の表現なのである。
 「走る」にあっては、単に動作のありようとしての弁別を意味して用いられて来ているのである。すなわち〈歩く〉のではなくて、もちろん〈這う〉のでもなくて……といった意味合いが主眼になっている。
 ひたすら目的地をめざすのが「とぶ」であり、場所などを意識して急ぐのが「かける」であり、歩いたり這ったりではなくてというのが「はしる」ということになる。極端なことを言うならば、どこをどのようなスピードで通ろうとも「はしる」ぶんには構わないということにもなるのである。
 「とぶ」にも「かける」にも、どちらにも急ぐ心情が籠められてあるから、したがって「とびっくら」や「かけっこ」で以って語も安定するのだろうし、運動会の種目名にもふさわしくあるように思われる。
 一方で、単に動作をいうだけの「はしる」では、そこに急ぐという意味を担わせてはない語であるがゆえに、ことばとしても運動会のプログラムにも、たぶんに「はしりっこ」を成り立たせ得なかったのだろう。
 飯田弁の語彙を拾って、それらに「意味」としての共通語を当ててある方言集がある。なかには中国語にまで対訳して付してある親切なものもある。あるいはその反対に、これは他郷から来た人たちがwebサイトなどでしているのだが、「共通語でこのように言っているところを、飯田地方ではコレコレと言っている」――としてまとめた採録集もある。
 それらのいずれにあっても、いいや、もっと本格的な方言辞典や概説書の類にあっても、そこでは「とぶ」という語を「はしる」「かける」こととしてあったり、その逆に「走る」ことを「とぶ」という――などとしてあるのが通例である。
 だがしかし、見て来たように、飯田弁における「とぶ」と「かける」と「はしる」とは、けっして同じではないのである。動作としての「はしる」さまをいうなかに包含されるとしてさえも、そこに籠められてある意味合いにあっては、それぞれに分担し合ったり補い合ったりして、それなりの役割をきちんと担って表現して来ていたのである。オートバイや馬や飯田人さえも「とぶ」ことができる。さればこそ、そこから清少納言や紫式部らのいにしえ人にも繋がることができるのである。そうして、こうしたところに、私は、飯田弁の、それは飯田人のと言ってもよかろうと思うのだけれど、流儀というものを見い出しているのである。

 「とびっくら」に見る流儀(1):2019・09・29 掲載

 「とびっくら」に見る流儀(2):2019・10・06 掲載

 「とびっくら」に見る流儀(3):2019・10・13 掲載

 「とびっくら」に見る流儀(4):2019・10・20 掲載

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