飯田人が慌てるとき


 飯田の町はというならば、赤石山脈(南アルプス)と木曾山脈(中央アルプス)とに挟まれた山国の谷あいの盆地にある。それだからして、刺激が少ないというならば、刺激は少ない。テレビがありインターネットが普及した時代にあっても、ほとんど変わらない。そのうちにリニア新幹線が通るようになったらば、それなりに変わっていくのだろうかしらん――とも思ってみるのだけれど、私には先々を見届けることはできないし、されば慮外のことである。
 山脈に囲まれた山国だから、刺激は少ないけれど、そんなくらいだから、穏やかにのんびりと暮らすには、このうえない地域だと私は思っている。私のみならず、各地を巡り歩いてきた人ほどそうしたことを口にして、実際にこの地を永住の場所にする人もまた少なくない。
 実際のところ、飯田人は、おおむねが穏やかでのんびりと暮らしている。そうした日常のなかにあっては、慌ててするような行動というのは、必要性としてはそう多くはなかろう。さりながら、多くはないかもしれないけれども、だからといって皆無だというわけでもない。〈慌ててする〉ことが少ないだろうなかにあって、それでも〈慌てなくてはならない〉ことがあるとなっては、それだからこそそうしたさまをいうところの、いかにも飯田弁らしさの溢れたことばがあって、それがまたおもしろくもあるのである。
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ややけて〔yayakete〕【副詞】《低高高高》
 「グラグラっちゅって揺れて、たまげたなん。わしゃあ、寝巻のまんまでややけて表へ飛び出したんだに」
 「地震だっちゅって、ややけて外へ出るのは危ないに。まず、落ち着かにゃ」
 「そんなことを言ったって、あんねん揺さぶられちゃあ、おまえさんが言うようになんか、落ち着いてなんかおれっこ」
 「なんにしても、こっちの方にゃ、それほど大きな被害が無くてよかったなん」
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 この「ややけて」という副詞は、共通語に置き換えていうならば「あわてて」というところである。
 さりながら、「あわてて」の語のほうには「あわてる」〔慌てる〕という動詞形があるけれども、飯田弁の「ややけて」のほうには「ややける」という動詞形は無いようだ。私としては今までについぞ耳にしたことが無い。
 飯田弁ならではの表現ということになれば、「ややけて」を凌駕しているところの、これぞという表現として取り上げるべきがある。
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けとをまわらかす〔ketowo mawarakasu〕【連語】
 「常さときたら、まぁずおかしかったに」
 「何がそんねにおかしかったんな。常さは、めったおかしなことはせん人だが……、なんだっちゅうんな」
 「今朝、お祭りの準備に行くっちゅって、二人で歩いとったら、足元をツーッと蛇が横切ってったんな。それを見た常さったら、けとをまぁらかいて逃げ出いて。まるで子どもみたいで、その逃げようったらなかったもの」
 「へええ、ふだん落ち着いちゃぁおるように見える常さだが、よっぽど蛇が嫌いなんだなん。そりゃあおもしかっつら。わしも傍で見とりたかったなぁ」
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 「けとをまわらかす」は、「慌てふためく」「大慌てでする」ようすを形容していう表現で、駆け出したりしてバタバタするさまいう飯田弁である。
 共通語的な表現に「こけつまろびつ」といった形容があるが、そうした心理状態とその表れとしての行動に通じているようなことばであり、南信濃にあってもたいそうおもしろい印象を与える表現である。
 「まわらかす」は「まわす」の意だろうが、いかにも浮き足立ち、あるいは虚しく足掻いているイメージがある。
 「全国方言辞典」には、「けと」という項目が立てられてある。それによれば、富山・滋賀といった地域では「あわて者」や「おっちょこちょい」をさしていってきたようである。そんな粗忽な「けと」に繋がっているのだろうか。そうだとすれば、足でも「まわらかす」というのも解らないでもないような気がする。
 ところで、標記のように「けとをまわらかす」といった形でここに掲げたけれど、私がこれまでに実際に耳にして来たところでは「けとォまァらかいて」〔keto^ma^rakaite〕のように、母音が融合するとともに、子音が弱化して、また長音化したりもして発声されていて、形容される本人の心情とうらはらに、話者が滑稽感を強く訴えた感じで聞いたものだった。
 ともあれ、今日に至っては、もはやこうした表現をついぞ聞くことが無いままにあるというのが実情ではあるのだが。

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