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サウナ市長こと冨田市長の進退と維新との関係について

昨日7月21日朝の読売新聞が「市役所にサウナ持ち込み30日辞職、市長が市長選に出馬の意向」との見出しで大阪府池田市の冨田裕樹市長が再出馬意向と報じ、私の事務所にも様々な問い合わせをいただいています。特に、2019年4月の市長選で冨田さんをご支援下さった支持者の皆様には、このような事態となり、本当に申し訳ない思いでいっぱいです。

この報道に先立つ7月18日日曜日の夜、池田市内のある会議室で私と冨田市長が向き合いました。私から市長に申し上げたのは、

昨年11月に維新を離党されてからも陰ながらサポートしてきたが、
百条委員会で認定されたパワハラ等の問題については弁解の余地がないので再出馬はするべきでない、特に5月の不信任決議案の可決を阻止するために協力下さった方々に報いるためにも、いったん身を引くべきである

ということでした。

もちろん、昨年11月の池田市議会(臨時議会)で設置された百条委員会には委員の選任方法等に地方自治法上の課題があり、私も再三、総務省に問題提起してきましたが、5月の衆院総務委員会で総務省の高原自治行政局長から「(委員の選任については)合理的に説明し得る方式を採用することが望ましい」との答弁を引き出すのが精一杯でした。

つまり、今後も百条委員会そのものを否定し続けることは、当に手続き的正義に唾を吐くこととなり、立法府に身を置く国会議員として「天に唾する」ことになりかねない、問題があるなら法制度自体の改正に取り組む以外にない、池田市議会百条委員会によるパワハラ認定については受け入れざるを得ない、と考えを固めていったのです。

そうした経緯から、冨田市長とは、不信任決議案の否決と前後して、重要な約束をしていました。それは、冨田市長が維新の同志とともに池田市政に風穴を開けた、その扉は、私たちが責任をもって大きく開いていくから、池田市政からは身を引く、ということでした。7月18日日曜日の夜の会談では、改めて「約束を守るべき」と伝えましたが、冨田市長は無言でした。

冨田市長が、ずっと支えてきた私との約束を破棄した瞬間でした。

思い起こせば、2012年に維新政治塾一期生として出会い、京都大学大学院へも強力に推薦し、大阪・北摂の未来をつくるために力を合わせてきました。しかし最後は、市長選挙であれだけ応援して下さった吉村さん、身を削って守って下さった松井さんはじめ維新の同志に後足で砂をかけて出ていく。結局、そういう人物だったのだと総括せざるを得ません。

加えて、4月の池田市議会における冨田市長に対する不信任決議案は高齢者のワクチン接種にメドをつけるためとの観点から公明党の協力も得て否決しましたが、そうした関係者の努力全てを踏みにじるような形で再出馬の意向を明らかにしたことは大問題であり、けじめの付け方として間違っていると断じざるを得ません。

仮に報道の通り8月22日告示の池田市長選挙に冨田氏が立候補したとしても、大阪維新の会、そして党の池田市支部として、そして言うまでもなく私自身も、冨田氏を支援することは一切ないことを、ここに明言いたします。

その上で、党池田市支部として、どのようにして池田市民の信頼を取り戻し池田市政に関与していくかについては、瀧澤智子新支部長を筆頭に、池田市民の皆さま、党員支持者の皆さまのご意見をうかがい、大阪維新の会執行部ともよく相談しながら、決めてまいりたいと存じます。

党池田市支部顧問
衆議院議員 足立康史


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